2013年09月09日

箱根の山は♪

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今日は幡ヶ谷で一日会議だったので出かけておりました。
伊東のゆったりとしたテンポに慣れ親しんだ私はどうも東京に出ると疲れます。
で、小田原辺りまで帰ってくるとボチボチ調子が戻ってくる感じ(^^)/

小田原で休憩した時に箱根の山と夕日が綺麗だったので写真撮りました。
「箱根の山は 天下の嶮♪」を思い出しながら、昔の人の箱根越えの苦労をしのびつつ、申し訳ありませんが私は車でさっそうと通り過ぎました。

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2013年09月06日

与えてはいけないものを考える子育て

今日は過保護・甘やかしについてご一緒に考えてみたいと思います。
過保護、甘やかしの問題とはなんでしょうか。意外に思われるかもしれませんが、甘やかしが与える子どもへのメッセージは「自己否定」です。
否定と聞くと「あなたはダメな子だ」、などとネガティブな言葉を浴びせることをイメージするかもしれません。しかし、そのような否定的なメッセージと、過保護・甘やかしによって子どもが受け取るメッセージは同一です。

過保護、甘やかしとは本来子どもが自分で出来ること、挑戦すべきこと、経験すべき困難を親が代わって回避させてしまうことです。
本来時間をかければ乗り越えられる、不器用であってもその子なりにやり遂げる力があっても、親が先に手を出してしまえば「私は出来ない子どもなんだ。だからお母さんがやってくれるのだ」と受け止めていきます。
つまり過干渉から生じるメッセージは「あなたは出来ない」なのです。
そのことの積み重ねによって、結果的には「私は親の保護が無ければ生きていけない弱い、ダメな人間だ」という自己否定感情にとらわれてしまいます。

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親はしばしば、子どもが直面している問題をいかに解決するかに目が向きます。けれども大切なことは、今目の前の問題を解決することよりも、その問題を通して子どもが困難を乗り越える生き方を身につけること、自分は出来るという自信をつけさせていくこと。
前回のブログにも書きましたように、それが「親無しでも生きられる」という子育ての目標である「子どもの自立」に向って行く本物の子育てなのです。

例えば、子どもが友達とケンカをした時に親はどのように対処することが良いでしょうか。
勿論年齢にもよりますが、親が全てを解決して上げるのでは子どもはその出来ごとの中で何も学ぶことができません。
「お母さんが居てくれれば大丈夫」だけでは成長とは真逆にある「親への依存」を深めてしまうだけです。
年齢や状況に応じて親のサポートが必要な可能性はあります。乗り越えられない課題を突きつけてしまうことも決して良い事ではありません。
ですから例えば、子ども同士が話し合う場をセッティングしたり、謝罪の時間を作ってもらうように相手の親に連絡を取るなど、年齢・ケースに応じての支援。もしくは家でゆっくり子どもの話しを聴き自分の経験を話聞かせるなど、何がしかの援助は必要でしょう。
そういう中でしかし、子ども自身がその問題に関与し乗り越えるために行動する機会を取り上げてはいけません。「大変だったけど、でも自分にはできた。心配だったけど、正直に話せば分かり合えるのだ。伝わるのだ」そういう「自分の足で歩けた」という経験を適切に積ませていくことが本物の子育てです。

子どもは親が思う以上に潜在的には力を持っていますし、可能性を持っています。しかし、しばしば親の過保護・過干渉が持っている力を失わせてしまうのです。
確かに「ネグレクト」と呼ばれる過保護と反対の問題も多く見受けられる時代ですので、必要なものを与えるという親の責任は軽視できません。
けれども色々な子どもたちと関わった時に、得られることよりもむしろ得られないことの中で成長していく姿に触れることがあります。
親はどうしても与えることを中心に子育てを考えていきます。
しかし「与えるべきは何か」を考えることと同じくらい「与えてはいけないものは何か」を考えていくことは、子育ての一つ秘訣であると思います。

川奈聖書教会はあなたの子育てを応援しています。http://www.geocities.jp/kawanachurch/
教育相談室 問い合わせ 44-1728 Mail kawanachurch@ybb.ne.jp
教会学校 毎週日曜日 朝9時15分から10時半 ゼロ歳から歓迎!

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2013年08月31日

そもそも子育てってなに??

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私には小学4年生と幼稚園年長の二人の娘がおります。
それぞれに将来の夢があるようです。これから成長する中でどのように自分たちの将来を考えていくのか楽しみにしています。
当たり前のことですが、子どもの将来は子どもの人生の一部分ですから親は楽しみに眺めているだけであって、そこに介入すべきではありません。

子どもの将来のために○○をさせておいた方が良いとか、将来の進学のために○○学校にとか、やっぱりそういう話しは耳にすることが多いです。
我が子のためにこれから歩む道を少しでも整えて上げたい、良い道を用意してあげたいという親心でしょうか…。
けれどもはっきり申し上げますが、子どもがこれから歩んで行く道を親が用意したり、歩きやすく整えたりしても無駄なので止めた方が良いです。あとでガッカリするだけです。
基本的に子どもは親が用意した道を歩きません。理由は簡単、その道は自分の人生では無く親の人生の一部だからです。

子どもの将来のために良い道を親が用意すればするほど、子どもはその道を外れていきます。いや、外れてくれればまだ良いのです。
親が用意した道を子どもに力づくで歩ませてしまった場合、子どもは生きる力を身につける機会を失ってしまいます。
子育てとは、子どもが歩きやすい道を用意することではありません。どのような道を歩むか分からない子どもに、どのような道であっても歩んでいくことのできる人としての基本的な生きる力を育むことが子育てです。

ですから、特定の道を歩むことを前提にして小さな頃から色々な準備をすることを私はおススメしません。もし小さい内から習い事をさせるのであれば、やがて成長した時にその習い事を中断することを本人が望んだとしても、その経験が本人にとってプラスになるかどうかを考えるべきです。
例えば野球教室に熱心に通わせ、鬼コーチに鍛えられ技術的には上手になったとしても、野球を止めてしまったら何も残らないような習い事は絶対NGです。
親が考えるべきは、たとえ野球を止めたとしても「野球教室に通っていたことで得るものがあった」と思える環境を提供することなのです。

子育てとは親無しで生きる力を育むこと。親の私が居なくてもしっかり歩んでいける力を身につけさせることです。それなのに、親が子どものために歩きやすい道を用意する、子どもの人生に先回りして準備してしまうことの矛盾・問題は明らかですよね。そうやって親が居ないと生きられない子どもにしてしまうことは、「子育て」ではなく「子どもを育てない」ことです。

どんな道を生きるにしても必要な人としての力・資質ってあると思います。
我が子に親として最低限身に付けさせてあげたいと思う力・資質。私ならパッとこんなことを考えます。
誠実・正直であること。愛すること、愛されること。どんな状況でも希望を失わずに前に進めること。本当に価値ある物、本物と偽物を見抜ける目。人の長所、自分の長所を喜べる心、などなど。。。
皆さんはどうですか?私は、この辺の所が身についていけば、あとは子どもがどんな人生を進んでいっても、「成功」するかどうかは分かりませんが、幸せに生きられるだろうと思っています。

教会学校は習い事とはちょっと違うかもしれませんが、でも最後に書いた「誠実、愛、希望、真理」、こういったことはみんな教会学校で教えていることです!(あと、おまけでピアノと宿題も希望者には^^;)
ぜひお子さんを教会学校にお送り下さい!!
毎週日曜日 朝9時15分から10時半。お昼まで遊んでいく子ども多数。。。
今は幼稚園生から小学6年生まで10〜15人くらいの子どもたちが集まってくれています。0歳から歓迎です!問い合わせは川奈聖書教会まで。
Email kawanachurch@ybb.ne.jp
п@44-1728
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2013年08月24日

「わたし」について考えるA

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「わたし」について考える第二回目です。
先週お話ししましたように「わたし」によって見える世界は大きく変わってきます。
「わたし」が変化してしまう要因は色々あります。例えば、寝不足による疲れ、過去の苦しい体験と瓜二つのシチュエーションに直面すること、過度のアルコールや薬物摂取による錯乱、ホルモンバランスの変化、などなど。
また心の病によって物事が明るく積極的に考えられる時と、苦しく否定的にしか見えない時が行ったり来たりということもあります。
難しいのは、どのような自分であろうと「わたしはわたし」であるということ。第三者の目には「昨日はあの人こう言ってたのに...」と映るのですが、自分自身のことをそのように認識することは困難です。「今自分がこう感じる」という事実を客観視したり、調整することはとても難しいです。

幾つか「わたし」を安定させる方法を紹介したいと思います。参考にして下さい。
@ 一番簡単で誰でも出来る方法としておススメしたいのは日記をつけることです。なぜ日記かと言うと、読み直すことで過去の自分を客観視できるからです。
自分で自分の行動や感情を見直していると色々気付きが得られるものです。「わたし」に連続性を持たせる意味で日記は非常に有効です。
FBをそのように自分自身の日記として位置付けて思いをつづるのも良いかもしれませんね。ただその場合「いいね」と「コメント」の機能は余計です...。

A かなり「わたし」の揺れが大きく生活に支障がある場合はやはり専門的な援助、お薬の服用、専門家によるカウンセリングなどを考えることが必要です。薬物療法やカウンセリングで感情の揺れが小さくなると、思考・行動に連続性が生まれますのでご本人にとっても周囲の方々にとっても一つのきっかけになると思います。

B 「わたし」の変化が大きいのは外からの影響を受けやすいということです。人の言葉や雰囲気に影響されて、そのたびに「わたし」がぶれてしまいます。
そういう時に、自分の感情に増して頼りになる存在、神への信仰は力になります。常に変わらない神に目を向けることで、揺れ動く自分を絶対視しなくなる。またはそうしたくなる時に、立ち止まって神に目を向けることで揺れ動く「わたし」を基準にする不安定から脱却していくことができます。
神を見上げることが自分の軸となり、生き方の一貫性、情緒の安定に繋がるのです。

いかがでしょうか?
「なんで上手くいかないのか!!」とイライラしているその原因は「わたし」の不安定にあるのかもしれません。出来ることから始めてみましょう手(チョキ)
掛け替えの無いあなたの人生を応援しています。
川奈聖書教会(山口牧師)
Tel 0557-44-1728 Mail kawanachurch@ybb.ne.jp

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2013年08月20日

お客様で賑わう教会!

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多くの日本の教会では8月の礼拝は帰省や旅行などで一年でも特に礼拝出席者の少ない時期だと思います。しかし観光地にある教会は逆にこの時期、大勢のお客様で礼拝がにぎわいます。

今週の主日礼拝は特別多くのお客様が足を運んで下さいました。こうやって、全国各地の教会のクリスチャンと出会えるのは地方教会の特権、楽しみです。
一方で、お越し下さる方も普段中々他教会の礼拝に出席する機会はありませんから、「伊東にも教会があるのか。ここでも毎週同じように礼拝が守られているんだな」みたいな新鮮な経験をしていって下さることが多いようで、それもまた嬉しいことです。

地域に根ざし、福音を携え地域に仕えていくことが一番の務めだと思っていますが、しかし旅行中の方々が一度の主日に礼拝をお守り頂く、そのこともまたこの地に教会が立てられていることの大切な意味だと思います。

写真は教会から車で5分の所にある一碧湖。夕方子どもたちを連れて犬の散歩に行ってきました。ステキな場所で牧師の務めを与えられていることに改めて感謝をしました。

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2013年08月17日

「わたし」について考える@

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私たちは普段「わたしとは??」何てことをあまり考えませんよね。けれども「わたし」を問うことはとても大切です。
先日教会員の浦島さんの教え子さんが作った詩を聞かせて頂きました。曖昧な記憶ですが「自分が生きていることが現実なのか...。もしかしてそれは夢ではないのか。自分が見ている物、感じていること、触れ合っている事柄が実は幻なのかもしれない」、こんな内容だったと思います。
私も小学生の頃こういうことを良く考えていました。「自分が生きていることが実は夢なのかもしれない。これが現実だとどのように証明できるのだろうか?」、こういう子どもの感性って凄く大切であるように思います。

私たちの感じること、考えることは「わたし」という自己によって決まっています。それは決して絶対的なものではありません。
例えば一切れのパンを見た時に、普段は何気なく見えるパンであっても、空腹の時に見たら凄く美味しそうに見えるでしょう。
特に意識したことの無かった異性が、自分の苦手なことを上手にこなしている姿を見たら急に心がときめく、なんていうことも起こるでしょう。
人間は常に「わたし」を中心に生きています。そして多くの場合関心を持つのは「わたし」が見たもの、「わたし」が感じ考えたことなのです。けれども、そのように見たり感じたりする「わたし」という存在そのものを問う機会は中々ありません。

例えば子育てをしているとしばしば体験することです。普段何気なく感じている子どもの行動が、忙しい時、余裕が無い時には腹立たしく感じられて思わず怒ってしまう。それは「わたし」が変化することで、子どもの行動についての見方・考え方・反応が変わってしまったということです。
もう少し別の例で考えてみましょう。○○恐怖症というのがあります。例えば私の父親は子どもの頃、桜の木から落っこちた経験があってそれ以来高所恐怖症です。つまり、木から落っこちた出来ごとによって「わたし」が傷ついたのです。ですから、傷ついた「わたし」はその後高い場所に行くと危険を感じるようになったのです。
高い場所が必ずしも危険な訳ではありません。ただ高い場所で傷ついたことがある「わたし」には、常に高い場所が危険に感じられるのです。

今日は「わたし」を問うことの意味をお話しして終わってしまいます。次回、この続きを考えていきましょう。
まず一つ知って頂きたいことは、「わたし」が感じたこと、思ったことを絶対化してはいけないということです。腹が立ったり、悲しくなったり、恐ろしくなったり、好きだと思ったり、そういう一つ一つの感情は、その時々の「わたし」によって生まれてくるものです。
「わたし」を怖がらせたり、怒らせたりする対象が悪いのか、それとも怖がったり怒ったりする理由や問題が「わたし」の中にあるのか、このことを冷静に慎重に考える必要があります。
人や状況を変えることではなく、傷ついた「わたし」に気がつくこと。疲れている「わたし」、悲しんでいる「わたし」に気が付き手当てすることで結果的に見えてくるもの、感じられることが変わってくるということはしばしば起こるものです。
ぜひこの機会に「わたし」に目を向けてみましょう!

牧師とお話しなさりたい方、川奈聖書教会に気軽に連絡下さい。
44-1728 Email kawanachurch@ybb.ne.jp


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2013年08月09日

「好きだから」で大丈夫??

友人ゼイさんとおしゃべりしていると話しが尽きません。先日はどういう話しの展開か忘れましたが「二代目」が話題になりました。

伊東だとご商売をしておられる「二代目」の方が割と多くいらっしゃいます。色々なケースがあるでしょうが、「継がざるを得ない」という「二代目」も少なからずおられるでしょう。でも決して悲観的になる必要はありません。自由に選べるから幸せになれる訳ではないのです。
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私がこの教会に赴任した頃あるご高齢の方が、ご自分の結婚相手を写真でしか知らず、結婚式の当日にはじめて顔を見たと話して下さいました。自由に恋愛し、結婚できる現代では考えられないことですね。
でも考えてみて下さい。そうやってほとんど選択の余地無く与えられた相手との夫婦関係と、自由に恋愛し結婚できる現代の夫婦関係とどちらが幸せか、どちらが良い家庭を築くことが出来ているか考えたら、率直に言って前者に軍配が上がるケースもたくさんあるでしょう。

「だから、結婚相手を選ぶ自由など不要だ」という話しをしている訳ではありません。
ただ、結婚も仕事も、自由に選べるから、好きな職業・好きな人を選べるから幸せになれる訳では無いことを知って頂きたいのです。
「好きだから結婚する。気に入ったからこの仕事をする」、当たり前のことのようでこれって凄く危ういことですよ。
なぜって?? 好きだから結婚した人は、結婚生活の中で相手の嫌な面を発見した時に「結婚相手の選択に失敗した」と思うでしょう。
この仕事が気に入ったと思って就職した人は、仕事をする中で自分の思っていなかった嫌な事柄に直面した時に「職業選択を間違えた」と思うでしょう。

逆に、結婚相手の全てが好きという訳ではなかったとして・・・、必ずしも自分のやりたい仕事では無かったとして・・・、でも「この人を生涯かけて愛していこう」「この仕事を生涯かけて大切にしていこう」そういう覚悟をもって歩み出した人の方が、結果的に良い夫婦関係を築くし、良い仕事が出来るのです。
好き嫌いを越えた「覚悟」が無かったら人生の重大な選択は成功しません。
大切なことはあなたの好き嫌いを越えて、「神様が私に与えて下さったパートナー」「神様が私に与えて下さった仕事」、そのことを信じる信仰です。正に、ゼイさんが大切にしてくれている言葉「ミッション」ですよ(^O^)/

ここまで読んで「あっ、わたし勘違いしてた」と思った方。決して遅くありませんよ。あとからでも変えられることが沢山あるんです。
ぜひ教会に足をお運びください。永遠のベストセラー、聖書には人生に必要な知恵がテンコ盛り!
川奈聖書教会の礼拝は「日曜日は朝10時半から」「火曜日は夜7時から」、どなたでもお越しになることができます。ぜひ勇気を持って一歩を踏み出しましょう。お待ちしています!
0557-44-1728 E-mail kawanachurch@ybb.ne.jp
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2013年08月03日

子どもは王子様、お姫様??

少子化の時代、一人の子どもに集中する大人の数がとても多くなっています。
両親、それぞれのおじいちゃん・おばあちゃん、おじちゃん・おばちゃん、沢山の大人たちの中に子どもが一人・二人ということは珍しくありません。
色々な人に囲まれて育つことは良いことですが、少子化の時代気をつけていないと子どもが自分を王子様やお姫様と勘違いしてしまいます。無秩序に可愛がることは子どものためにならないのです。
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たくさんの大人たちの中に子どもが一人だけいると、どうしても家族全体が子ども中心になってしまいます。
「何をしたい?」「どこに行く?」「どれにする?」、いつも決めるのは○○ちゃん。周りの大人は○○ちゃんの一言にいつも忠実に従ってくれる。
大人たちは子どもを可愛がっているつもりなのでしょうが、こういう中で生活していると子どもはどういう感覚に陥るでしょうか。自分が世界の中心、王子様・お姫様。周りの人間は自分の言うことをいつも適えてくれる従者です。

さて、このような感覚の中で幼稚園や保育園など集団生活の中に入った時にどういうことが起こるのか想像して下さい。当然幼稚園でも自分が中心と思っている所で、何と自分以外にもたくさんの王子様・お姫様が現れて「あれやこれや」と自己主張するのです!!
集団生活の中で家庭と同じように振舞えないのは当然のことですが、過度に王子様・お姫様のように育てられるとその当たり前を受け入れるのにすごく苦労してしまいます。自分中心に世界が動いていかないことのショックを3歳、4歳になってはじめて経験するというのは子どもにとってかなりきついことです。
「自分の思い通りにならないと楽しめない」のでは本人が一番辛い思いをすることになってしまいます。

ですから何でも子ども中心は最初から止めておきましょう。
親の我がままにつき合わせるのはもちろんダメですが、家庭の秩序の中でお父さんやお母さん、おじいちゃん・おばあちゃんに合わせること、従うこと。他の子どもに配慮することも適切に経験させていると、集団生活の中で比較的スムーズに友達との関係を築けるようになりますし、自分の主張が通らなくても楽しむことの出来る力が身につきます。

「自分中心」ではなく、「あなたが居て私が居る。私が居てあなたが居る」、そういう相互に認め合う世界観を子育ての中でも意識していたいですね(*^^)v

川奈聖書教会では牧師山口があなたの相談お受けします!(^^)!
家庭・夫婦関係のこと、子育て、人間関係、心の問題。もちろん無料、秘密は厳守します。
たった一度のあなたの人生が素晴らしいものであるように、わたしにも応援させて下さい! 
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星の観察

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水曜日にお休みを頂いて池袋のプラネタリウムに行って来ました。
そうしたら娘が星に興味を持ったので、今晩は星の観察に小室山!ビニールシートに寝っ転がって楽しかったですよ。

若干雲がかかっていたのでいつもよりは見えなかったのですが、それでも幾つか星座を見つけられました。

水曜日、数十年ぶりでプラネタリウムに行きましたが、ここは星がとても良く見えるので「伊東で見るのとそんなに変わりない!」と私は内心思っていました。言い過ぎでしょうか?!

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弦楽合奏

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7月28日の午後、「生涯学習センター 荻会館祭り」でのヴァイオリニスト外岡協子先生の弦楽合奏のお手伝いに妻と出かけてきました。
後ろの紅白幕が凄〜く違和感ありましたが(生涯学習センターのイベントにこれいらんだろ...)、それ以外は楽しくモーツァルトのディベルティメントFdurとヴィヴァルディのConcerto Grosso、トトロも演奏させて頂きました。
昨日、最高の響きを誇る東京オペラシティコンサートホールでの本番で、今日は一転響きとまったく無縁の^^;荻会館ロビーでの演奏で、でもこの展開が凄く面白かったです。

「ヴィヴァルディ?? 誰だ、それ...」と言わんばかりのおじちゃん・おばちゃんたちが、うちわパタパタしながら「へぇ〜。ほぉ〜」とか言って聴いて下さる光景は「音楽」を感じるかなり濃密な時間でした(*^^)v

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ユーオーディア 第20回賛美の夕べ

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東京オペラシティで行われた第20回賛美の夕べ、二回公演を終え無事帰宅しました。
6時の第二公演の方は客席スカスカ警報が出ていたのですが、最後の10日間くらいでグァァ〜と来たのでしょう。一部、二部ともに大勢の方が足をお運び下さいました。神様の驚くべき祝福、ホントに感謝でした。

写真は今回ご一緒したユーオーディアのコントラバスセクション。
内山リーダーを中心に、同盟教団の皆さまにはおなじみ草井先生のお嬢様、そしてダンディなおじさま二人、そして私の5人でコントラバスを演奏しました。
次はまた2年後でしょうか。それまで皆さんお元気で〜(^^♪

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2013年07月20日

人を変える方法教えます

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“あの人”の欠点を直す方法教えます。
基本的に人間関係の鉄則は「人は変えられない。でも自分は変えられる」です。
が、人を変える方法あります\(◎o◎)/

それは相手の長所を発見し、相手の長所を大好きになり、相手にその長所が素晴らしいと伝え続けること。たったこれだけです。

人の欠点・悪い場所を頭ごなしに注意しても効果はゼロです。いや、ゼロではすみません。マイナスです。
なぜなら人の欠点・弱点というのは、しばしば潜在的に自分自身が嫌っている自分の姿を隠そうとして生まれてくるものです。
自分さえも受け入れられない自分の一面を「あなたの○○が悪い」などと頭ごなしに言われたらどうでしょう。その人は益々必死になってその所を隠そう・守ろうといよいよ頑なになるだけです。

そんな時、相手の長所を見つけて下さい。お世辞とか、適当な誉め言葉ではダメです。
本気になって相手の長所を見つけ、その長所をあなたが心から喜び、「あなたのそういう所が素晴らしい、大好きだ」と伝え続けてみて下さい。すると何が起こるでしょうか?

不思議なことに、こちらが何も言ってないのにその人は自分の欠点・弱点を素直に言葉にして表現するようになります。そして自分のマイナス面と向き合うようになり、ボチボチ変化が表れるようになってきます。
なぜでしょうか??自分の良い面が評価され、自分も自分を喜べるようになるので、今まで受け入れられずに隠していた欠点と向き合う余裕が生まれてくるのです。人が変わる為に必要なのはこの余裕なのです。
自分の悪い所なんか実は本人は良く分かっています。分かっているけれど、受け止める余裕が無いので隠す他無くなってしまうのです。隠さなくても良いように、認めても大丈夫なように、その人の良い所を名一杯喜んで下さい!

相手の長所を見つけ、本気で好きになること。これが人を変える必殺の方法です!
「変わって欲しい〜」と思う人がいたら、すぐさま実行(*^^)v
上手くいかなかったら教会に相談にいらして下さい。責任もってアドバイスします。。。

川奈聖書教会では牧師山口があなたの相談お受けします!(^^)! 家庭・家族のこと、子育て、人間関係、心の問題。もちろん無料、秘密は厳守します。
たった一度のあなたの人生が素晴らしいものであるように、わたしにも応援させて下さい! 
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2013年07月13日

親子の距離感

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子育てにおいて、親が子どもと適切な距離を保てるかどうかは非常に重要です。
そしてその難しさは、子どもの成長に応じて適切な距離が変わってくるということではないでしょうか。

大切な子どもです。友達との関係や学校での様々な出来事。年齢が増してくれば異性との関係など、親にとって気になることはたくさんあるでしょう。
だから、一つ一つ把握していたい。傷つかないように守ってあげたい。アドバイスしたい、と思ってついつい近寄り過ぎてしまうことがあるように思います。

親が子どもを知ろうとすることは基本的にとても良いことです。ただ、子どもとの距離が近いことが子どもを知ることに必ずしも繋がるわけではないことを覚えている必要があります。
例えば動物園でウサギの写真を撮るのと、ゾウの写真を撮るのと、カメラを構える距離感は当然違うでしょう。小さい動物であれば近づかないと良い写真になりませんが、同じ距離感で大きな動物の写真を撮ったら一部分しか映らないのです。

小学校低学年の時と同じ距離感で高学年になった時にも我が子を把握しようとすると、子どものある一部分しか見えなくなってしまい、かえって親の知らない場所が広がってしまいます。
例えば第三者の目には一目瞭然のその子の問題に身近な親が気付けないということはしばしばあるのですが、それは、子どもに対する関心が不足しているということもあり得ますが、逆に関心を持ち過ぎて近づき過ぎてしまい見えなくなっている場所があるとも考えられるのです。
「最近、自分の子どものことがよく分からない...」と悩む時、近づくことだけではなく、少し離れて子どもを見つめてみることも有益かもしれません。お子さんはあなたが思う以上に成長し、大きくなっているのかもしれません!

ドンドンと大きくなっていく子どもたち。その時々のお子さんを知るのに相応しい距離が見つけられると、親として子どもに出来ること出来ないこと、すべきことすべきでないことも見えてくるのかもしれませんね。

あなたの子育てを応援する、川奈聖書教会の教育相談室。
相談員は私、牧師の山口と、教師歴ほぼ40年の大ベテラン浦島さん!
気軽にご連絡下さい。Tel 0557-44-1728 
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2013年07月05日

50万回のチャンス

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子どもが13歳になるまでに親に質問する回数はおよそ50万回なんだそうです。凄いですねexclamation×2 家の娘は特別おしゃべりなので70万回くらいいくかもしれません(*^^)v

子どもも忙しい時代ですが親も忙しい訳で、余裕があれば子どもの質問にゆっくり答えながらおしゃべりを楽しめるのですが、慌ただしい生活の中で中々そうもいきませんね。
「あとでね」と優しく言えればまだ良いのですが、「うるさい!」とか「今忙しいの!」とかついついイラッとしてしまうこともあるでしょうもうやだ〜(悲しい顔)

でもぜひ覚えていて下さいね。
お子さんが成長し中学生くらいになると段々と親がヒヤヒヤするような問題が起こってくるものです。けれどもその頃にはもう以前のように何でも話してくれる訳ではありません。子どもの様子を把握するのが難しくなってきます。
そこでいざ親が子どもと話したいと思った時に返ってくる言葉は、、、「あとでね」くらいなら恩の字ですよ...。「うるさい!」とか「今忙しいの!」とか、どこかで聞いたような答えが返ってくるようになります。

そんなことを考えると、子どもの方から質問してきてくれることってものすごく貴重な機会であることがわかりますよね。
子どもの質問に答えることの中で人生において大切なことを沢山伝えることができるんです!
50万回のチャンスの中であとどのくらい機会が残っているでしょうか。5000回でも残っていたらそれはまだまだビックチャンスがゴロゴロということです。生かしていきましょうexclamation×2

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2013年06月26日

チャペルコンサート終わりました

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チャペルコンサート2013、およそ120名の方が集まって下さり大盛況でした。
井上さんの表情豊かなチェロ演奏と分かりやすく引き込まれるお話し。そしてピアニスト高木さんの見事なテクニックと若々しい勢いのある音楽。時間を忘れて楽しませて頂きました。

川奈聖書教会聖歌隊も頑張りました!難しいグノーの荘厳ミサ曲を自分たちの音楽・賛美としてしっかり歌いこなしてました。

次回は12月に行われる聖歌隊コンサート、真夏の暑さの中で8月からクリスマスキャロルの練習です。また頑張って練習しますので皆さんご期待下さい!
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