2013年12月24日

クリスマスイヴ礼拝のお知らせ

本日24日夜7時から、川奈聖書教会にてクリスマスイヴ礼拝をおこないます。普段教会にお越しではない方、教会に行ったことがないという方もどなたでも自由に参加いただくことができます。
今年のクリスマス、教会で本当のクリスマスを味わってみませんか。
ご用意いただく物は何もありません。普段着でお越し下さい。お待ちしています!

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2013年12月23日

東京に向かうあなたへのエール

先日運転しながらラジオを聞いていると、クリスマスの思い出ということでリスナーからのお便りが紹介されていました。その中に、何年も前のクリスマスの思い出として、以前交際していた恋人との関係についてこんなことが読み上げられていました。

とっても大好きだった彼との関係が、クリスマスの前にひょんなことから破たんしてしまった。ちょっとした誤解だったのだけれども、その時は意地になってしまい相手を許すことができず別れてしまった。
けれども、今でもその人のことを時々思い出す。そして、もしあの時彼と別れていなかったら私の人生はどうなっていただろうか、と考えてしまう。
そんなメッセージでした。
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ラジオのお便りに一々目くじら立てるのもどうかと思いながら、しかし私はその投書をロマンチックなストーリーとして聞くことはできませんでした…。

私たちの人生には確かにターニングポイント・岐路と言える場所があると思います。
そして、後で振り返ったときに「もし別の道を選択していたらどうなっていたか」と考えたくなることはあるでしょう。
自分の選択だけではありません。誰かの影響によって、特にも不本意な事柄の中で心ならずも...、そういうことが自分の人生のターニングポイントになってしまったとするならば、整理することが難しいのは当然のことでしょう。
「もしあのことがなければ」「もしあの人がいなければ」、そうやって何年でも、何十年でも抱え続けてしまう痛みがあります。
けれども一方で「良い」と思えたことが、後になって悪い出来事に変わることがありますし、逆に「悪い」と思えたことが、後で良い経験に変わることがある。これが人生です。
つまり私たち人間には、その時その時に起こる出来事の良し悪しは判断できないのです。
ただひとつ、はっきりとした人生における不幸があるとしたら、それは「悪い出来事」と判断された事柄が5年たっても10年たっても20年たっても、なお「悪い出来事」のまま変わらずにその人の人生に置きっぱなしにされることです。
そして何か辛い時に、苦しい時に、その場所に戻って「あのことのせいで私の人生は」と愚痴ってしまう。

しかしそうやって、事あるごとに不幸な過去の出来ごとに逃げ込んでしまう人生は積み上げられていきません。10年前に起こった不幸を、今でも辛いことがあると「あの時のせいで」という人は、結局10年間同じ場所で足踏みを続けているということです。
「あの人と結婚したせいで」「あの時会社が倒産したせいで」「あの時、あちらの道を選んでおけば」、そうやって私たちが振り返ってしまう、逃げ込んでしまうその場所から私たちの人生は一歩も前には進んでいないのです。 
悪い出来事を、悪いことのまま放置する人生の不幸とはこういうことです。

今回のあなたの選択があなたの人生を決めるのではありません。
大切なことはこの選択を、また過去に起こった様々なことを逃げ場所にしないこと。
クリスチャン詩画家の星野富弘さんが「悲しみの意味」という詩を読みました。
「冬があり夏があり、昼と夜があり、晴れた日と雨の日があってひとつの花が咲くように、悲しみも苦しみもあって私が私になってゆく」

東京に移る人生のこの転機も、あなたが益々あなたらしくされていく大切な人生の時だと私は思っています。だから、前を向いて進んでいってください!これからも応援しています(^O^)/
牧師 山口

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2013年12月16日

影響力のある言葉を発するために

小言は子育てしていると“いけない”と思いながら、中々止められないものですね。
小言とを辞書で引くと「細かいことをいちいち取り立ててしかること。また、その言葉。」だそうです。私自身も子育て中の親として耳が痛いです...。

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本文とは何ら関係ない恐怖の「勝手に宣伝コーナー」。やっぱりこの方!! 誠実&一生懸命な人を応援しないではおられない温かいお人柄の原眞人税理士さん!私の大切な友人です。http://hara-k.com/

小言の一つの問題は、常時細かいこと・小さいことにガミガミ言っていると、いざ「これは重大」と思って注意した時に効き目があらわれないことです。
細かい事柄について日常的に注意を受け続けていると傾向として、細かい事柄に神経質と思える程注意深くなる一方で、周囲の人が唖然とするような大きな問題に対する無頓着が現れます。
大雑把な人は細やかな場所が行き届かなくても全体としてはバランス感覚に優れるという長所が現れやすく、一方細かい人というのは逆に全体としてみるとアンバランスを抱えていることが多いです。細やかにあれこれ気を使っているので、逆に注意力が散漫になる落とし穴がぽっかりどこかに開いてしまうのです。
つまり、人間が注意出来ること、気をつけられることには限界があるということです。

ですから、子育ての中ではやはり気になったことを片っ端から注意するのではなく、本当に気をつけて欲しいこと。子どもが成長していく上で欠かすことが出来ないと思える事柄と、そうではないことを取捨選択することが必要です。
特にお子さんが大きくなって来た時には、ドンドン親の言葉を受け入れる余地が少なくなります。お子さんが受け止めてくれる僅かな場所を小言で使ってしまうのは勿体ないですね。
お子さんに親として伝えたいこと、大切にして欲しい場所を、親自身の内でまず明確にしておく必要があるでしょう。

これは子育てに限ったことではありません。言葉に影響力を持つためには言葉の無駄遣いをしないことです。
「あの人が発する一言は重たい」そういう経験ってありますよね。小言など普段言わない人が、何か静かに一つの注意を口にするとその言葉が大変な影響力を持つのです。
例えば往年の名指揮者がほとんど体が動かなくなって、腕も満足に上がらないような状態でしかし名演奏を生み出すことがあります。それは、ホンの僅かな動きが逆に際立って肝心要の場所で大きなメッセージが伝わるからです。

一方で日頃から細かいことにあれこれ言っていると、いざという時に「またいつものあれか...」と耳を傾けてもらうことが出来ません。そうすると今度は、普段よりも更に大声を出したり、汚い言葉・威圧的な言葉を使ってことの重大性を表さないではおられなくなってしまうのです。
仮にそうやって人を動かすことが出来たとしても、関係性は壊れてしまいますし、不満が蓄積されてしまい後々必ず行き詰るでしょう。

人間が注意力を働かせることが出来る範囲には限界があります。親として子どもに与えられる影響力にも限界がありますし、子どもの成長と共に影響力はドンドン低下します。
集団の中でも同じです。健全な関係性の中で及ぼすことが出来る影響力はそれ程大きなものではありません。もしずば抜けて強い影響力を持っている人がいたとしたら、それはその人の振る舞いの中に大声や威圧的な言葉など不適切なものが含まれている可能性があるでしょう。
健全な関係性に留まりながら、限られた中で影響力を及ぼしていくことを考える時に、子どもに対して、隣人に対して、集団に対して、あなたが伝えたいこと。伝える責任があることを整理しておく必要があります。
いや、整理する前に自分にとって大切なものが何であるかをしっかりと弁え、そこに立って生きていることが必要です。自分自身の価値観が曖昧だから、あれこれ構わず口出ししてしまうのかもしれません。

子育てにおいて大切なことは、親自身が人生において価値あるものが何であるかをしっかりと弁えていること。そしてその価値観に相応しい人生を目指して生きていることです。
ぜひ教会に足をお運びください。聖書には本当に大切なものが何であるかがちゃんと書いてあります!
電話44-1728 kawanachurch@ybb.ne.jp
礼拝はどなたでもお越しになることが出来ます。
日曜礼拝 AM10:30-12:00 火曜礼拝 PM7:00-8:00


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2013年12月10日

番外編:小さいことをしまい込まずに

情熱大陸で有名なヴァイオリニスト葉加瀬太郎さんの演奏をネットで見ていて思いだしたことがあります。
彼は元々クライズラー&カンパニーっていうグループで活躍しておられましたが、ほとんど同じ時期に「G-クレフ」というアコスティック楽器使ったバンドが活躍してたのご記憶の方いらっしゃるでしょうか。
どちらも芸大生が結成したバンドで、G-クレフはデビューの年に紅白にも出演しました。

あのG-クレフの中心メンバーだったヴァイオリニストの後藤勇一郎さんが、中学生の時に私のクラスに教育実習生として2週間来ておられたんです。音楽の授業だけじゃなくて学活とか給食の時間も一緒に過ごしました。

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ちょうど教育実習期間に合唱祭があって、私はピアノ伴奏者でした。
その頃は男子がピアノ弾くなんてすごく恥ずかしいことみたいに思っていて、私は人前でピアノ弾くの嫌だったんですけど、そうしたら教育実習生の後藤先生が「山口くん、ピアノすごく良いよ。音楽はいろんなことできるから絶対続けた方が良い」と何度か声をかけて励まして下さいました。
何か普通の人と違うカッコよさがある後藤先生のその励ましが嬉しくて全然練習しなかったピアノをそれからボチボチ頑張るようになって、その後私が音高に進学する一つのきっかけになったんだなと、なぜか急にそのことを思い出しました。
先生にとっては何気ない言葉だったのでしょうが、私の人生にはズシリときました〜。

後藤先生が教育実習を終えられる時に最後のあいさつで「実は私はG-クレフというバンドでデビューするんです」みたいなことをお話しになられて、デビューコンサートのポスターを教室に担任の先生が貼って下さいました。
みんなで「こういうのは絶対売れないよな。止めとけよ」とかムチャクチャからかったのも良く覚えているんですが、結局あれよあれよと言う間に評判になって、一緒にお弁当食べた後藤先生がその年の紅白歌合戦に出演し、演奏している姿を私は家のテレビで見るという驚きの展開だったのです。

私の大好きなマンガ「家裁の人」の第8巻で桑田判事が言ってます。「私達が少年に対してできることは、小さなことです。だけど小ささを恥じて、それをしまい込む人が多過ぎるんです」、その通りですね桑田さん(ToT)/
相手が抱えている問題の大きさと自分がして上げられることの小ささと、そのギャップがあまりにも広過ぎて絶望的な思いになることってありますよね。私はしばしばです。
でも、10の問題に対して私は1しか出来なかったとしても、1出来る人が他に9人いればその方に対して有効な関わりが成立するんです。

最近教会に来てくれる子どもたちがまた少し増えて、全員来ると20人以上の子どもたちが教会に繋がってくれています。その分、自分の無力さを痛感することが多くなりました。それでも、私にできる1、教会にできる1をしまい込みたくはありません。

話しを元に戻しますが、その後先生はG-クレフをお辞めになり、G-クレフも解散になって、すっかり忘れていたんですが、葉加瀬太郎さんをネットで娘と見ている時に突然このエピソードを思い出しました。
「あぁ、私が今も音楽続けているのはあの時に先生が励まして下さった言葉が影響しているな」と。それで、先生どうしておられるのかと思ってインターネットで検索したら、ヴァイオリニストとして今も幅広くご活躍とのことでした(^O^)/ 
がんばれ後藤先生〜!!


週一ブログの今日は番外編でした。。。

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2013年12月08日

ホントにその人はそういう人ですか?

前回は何か大きな目標を立てることの中で、あたかもそのような自分になったかのように錯覚して現実の自分から目を逸らす「逃避」についてお話しをしました。
今回は人に対する認識の中で起こる「逃避」をテーマにご一緒に考えていきたいと思います。

「人を信じる」ことは素晴らしいことのようでありますが、盲目的な信頼の問題ということもあります。
例えばもうパートナーが明らかに裏切り行為をしている。親が友人が、わたしを裏切っていることは明らかである。
しかし本人は「何か事情があったのだ」「本当はこんなことする人では無い」「いつか分かってくれる」「本心では私を愛しているのだ」などなど、そうやって現実を認めず裏切った相手を弁護し良い方に解釈をしようと為さいます。
実際には問題が起こっていることは分かっているのです。自分が裏切られていることを知っています。けれどもそのことを認めて、問題に向き合うことを回避してしまうのです。
なぜでしょうか。自分を裏切った相手と、自分を大切にしてはいない相手と向き合うことが出来ないからです。相手の問題から逃避し、空想上のストーリーの中で自分を安心させようとしてしまうのです。
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本文とは一切何ら関係ありませんが、わたしはLUCEとおがちゃんが大好きです(^^♪
https://www.facebook.com/LUCE.IZU

しばしばこのような他者に対する逃避は、辛い子ども時代を生き抜くために身に付いた癖であることが多いです。
子どもは経済的な面だけでなく、精神的にも親に依存しています。親の愛情や両親の夫婦関係の誠実さを欲しています。
けれども、親から虐待を受けるとか、親のパートナーに対する不誠実な姿を目の当たりにするとか、子どもの心が締め付けられるような体験をする時に、子どもは「でも本当はお父さんはこんな人じゃない」「本当はお母さんは私のことを愛してくれている」などと現実を歪めることで自分を守ろうとします。それは決して責められることではありません。逃避することで子どもなりに必死に生き抜いているのです。

ただ、そのような緊急避難的な対応がやがて生き方としての大きな問題になってしまいます。成長してなお、他者に対する見方が常に逃避的になってしまうのです。
そうすると、残念なことに不思議と自らが過去に経験した悲しみと同種の痛みを与えるパートナーを選んでしまうようなことがしばしば起こってしまいます。
ですからどこかで、真実の相手と向き合う生き方に転換していかなければなりません。そうしないと人生はどうしても開けてこないのです...。

無力で無防備な子ども時代に現実に痛みつけられた方は、現実を恐れるのは当然です。そのこと自体が責められる訳ではありません。
思い当たる節がある方は、そうやって辛い中を生き抜いてきた自分を温かく受け入れて上げて下さい。その上で、今はもう無力な自分では無い。自分を本当の意味で守って上げられる、安全な生き方を提供して上げられる自分であることを信じて欲しいのです。
それは「何でも自分で」ということではなく、真実に生きるために・傷ついている自分を守っていく為に必要な助けを得ていくことですし、真実に生きるための良き仲間を得ることですし、そうやって生き方を転換させていたくための安全な場所を得ていくことです。
ぜひ逃避では無い一歩を踏み出して下さい。応援しています(^^)/

川奈聖書教会は、たった一度の掛け替えの無いあなたの人生を応援しています!
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2013年12月01日

その目標は逃避じゃないですか?

早いものでいよいよ12月。一年の締めくくりの月を迎えて皆さんに嫌な質問をします。元旦に「今年こそは」と決意した目標、どれだけ達成することが出来ましたか?!
今日はご一緒に「逃避」について考えてみましょう。

クリスチャンの方の良くある新年の目標は「今年こそ聖書を最初から最後まで読み通すぞ」というものです。けれども、レビ記辺りであえなく撃沈する方が多いでしょうか...。
新年に限らず何がしか目標を立てることは良いことだと思いますが、多くの場合その手の目標が現実逃避に過ぎないということがあります。
負い目を感じている自分。嫌な自分。例えば「○○が続かない自分」「体重の増えてしまった自分」「○○が止められない自分」などなど、そういうダメな自分が大きな目標を掲げる時に、あたかもそのことが現実化したような錯覚を味わうのです。
一年の目標を考えながらその目標を達成して生まれ変わった自分を想像することで、自分に対する嫌悪感から一瞬目を逸らす。こういうことを「逃避」と言います。
逃避によって掲げられた目標は大抵三日坊主に終わります。

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12月7日(土)午後1時半から3時まで、読み聞かせ会を開催します。ぜひ遊びにいらして下さい!

目標を掲げることが悪い訳ではありません。けれども、現実から目を逸らした目標は成長をもたらしません。
もし私たちが本当に目標を掲げ、成長を目指すのであれば真っ先にしなければならないことは現実を直視することです。
自分が嫌悪している自分の習慣や状態がどれだけ深刻で根深いものであるか。今まで解決しようとしながらまったく実行できなかった無力な自分であること。それを「今度こそは」と決意し実現させるのは容易では無いこと。
このように課題・問題の大きさと、自らの弱さという現実を直視する苦しみに向き合っていくことが、困難な目標を達成していくために必要な第一歩です。
そして、このように現実を直視した時に、この難題を乗り越えていく為に何をしたらよいか、何が出来るか、何が出来ないか、どういう助けが必要か、そういう実現への道筋が少しずつ見えてくるのです。

「年が改まるから新たな自分に変われる。職場が変わるから、引っ越しをするから…」、こういうのは基本的に逃避です。
本当に変われる人は年が改まらなくても変われます。同じ職場の中で、同じ住まいの中で、変えていけるはずです。環境・状況の変化の中で生まれ変わる自分を思い描くのは楽しいですが、それでは実際には何も起こりません。
あなたが思い描いている希望は現実を直視した上でのものでしょうか。

職場や住まい、同僚・上司・ご近所さん・パートナーとは離れるチャンスがあるかもしれません。けれども、絶対に離れることができない存在がいます。それは自分です。“自分”という存在とは絶対離れることが出来ません。一生涯共に生きていくのです。
そして、もし自分自身に問題があるのなら、外面的な状況が変わったとしても常に同じ問題が起こるでしょう。
自分から目を逸らし、誤魔化しながら過ごすのではなく、この機会に向き合ってみませんか。
もしかして、本当の問題はあなたの周囲にあるのではなくあなた自身の中にあるのかもしれません。いや、それは分かっているけれども、でもどうしても向き合えないのかもしれませんね。

私たちの教会にお手伝いさせて下さい。
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教育相談・子育て相談室もあります
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2013年11月22日

「こんなこと話せない」と思えることこそ…

友人ゼイさんのススメで毎週ブログを更新するようになって間もなく半年が経ちます。
沢山の方がお読み下さっていること、そして何よりあなたが読んで下さることをとても嬉しく思っています!!

ブログを書くようになって個人的な相談をお受けする機会が増えました。時間的にも能力的にも、十分にお答え出来ているとは言えませんがとにかくお話しを伺わせて頂いております。
私に相談することで直ぐに何かが起こる訳ではありません。ただ、こうして教会・牧師にご自身が抱える問題を相談する、打ち明けるという行為そのものが、その方の大きな前進であるように思うのです。
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教会の子育て相談室:相談員は浦島さんとわたし。 毎月最後の木曜日午前10時40分頃からFM伊東で「山口牧師のホッとひと息 バイブルメッセ〜ジ」放送中(*^^)v

心の問題とか、家族の状況、子育てのこととか、とても人には話せないと思えるような悩み・問題を抱えることが人生にはあります。
一般的には驚かれてしまうような、かなり深刻と思える話しを伺うこともそう珍しいことではありません。ただ、ぜひ知って頂きたいことは一つの深刻な問題で人生がダメになってしまうことはまず無いということです。
ご本人は重たい問題を抱え「抱えるだけで精一杯」、何も考えられない絶望感の中で口をつぐんでしまうのは当然でしょう。
けれどもしかるべき人に相談すれば必ず解決の糸口は見つかるものです。
大きな問題を抱えることの難しさは、問題そのもの以上に「こんなこと人に話せない」と思い込むこと。つまり本当の問題とは、起こってしまった出来ごとではなくて、それを「話さない・話せない」ことなのです。

一番不味いパターンは、一つの深刻な問題を誰にも言いだせずに抱え込み、抱え込むことでその問題が更なる問題を生み出し、いよいよ深刻になった問題は益々深い闇に閉じ込められ、それが更なる深刻な問題に繋がり...。そういう悪循環・負のスパイラルの中で長期間放置されると、最初に「こんなこと誰にも相談できない」と思った時は比べ物にならないほどのスケールまで問題が深刻化してしまいます。

問題というのは放置して見ないことにしていては絶対に解決しません。最初は見ないことにしておけても、ドンドン問題が深刻化しどこかのタイミングで誤魔化し切れない大問題になって、人生の行く手を阻むようになります。
ですから、自分で「こんな問題解決などありえない」「こんなこと話したら軽蔑される」などと決めつけず、そう思えることこそ信頼できる人に話すこと・相談することをして頂きたいのです。話すこと・話し続けることが、向き合うこと・向き合い続けることなのです。

もう一つ、「問題の無い人など誰も居ない」とよく言いますが、どの家庭にも一つくらい人に話すことがはばかられるような大問題があるように思います。
幸せそうに見えるあなたの周囲の人が、誰にも話せない大問題を抱えて苦しんでいる可能性はかなりの確率であります。
あなたがその問題を解決できる必要はありません。ただ、いつでも聞いてあげられるサインをおくってあげて下さい。心配無い・必要無いと思える人にもです。その小さなサインが相手の人生を変えることがあるんです。
そして相談を受けて、問題をあなたが解決して上げる必要はありません。信頼できる誰かを紹介してあげたらよいのです。もちろん、教会でも結構です。
このブログをシェアして、知人・友人に「わたしはいつでもあなたの話しを聴く用意がある」と意思表示して下さることも意味があるでしょう。
繰り返しますが、信頼できる人に話すことでどんな大問題も解決の糸口がきっと見つかります。

川奈聖書教会は、たった一度の掛け替えの無いあなたの人生を応援しています!
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2013年11月17日

変わるべきはどっち?

夫婦の関係の中で「夫が・妻が、もっとこういう人だったら良いのに」という話を伺うことがあります。
パートナーに限らず、職場・学校・人間関係、様々なことにおいて、「ここがダメ、あそこがダメ」と言いたくなる思いは確かにありますね。
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http://dog-photos.jp/
プレオープン時にご招待頂いたAtelier Clairさん!年賀状の撮影も取り扱っておられるそうです(^^)/


けれどもどうでしょうか。例えば「夫がもっとスタイルが良ければ…」と奥さんが思っていたとして、しかしもしその奥さんの理想に適うスタイルをご主人がなさっていたら、ご主人は別の人と結婚していた可能性大ですね。
社員さんが「私の職場のここがダメ!」と思ったとして、でもその職場が理想に適う会社だったら、その人は入社できなかったかもしれません。
逆に上司が「家の従業員はなってない」と思ったとして、でも上司が願うような部下だったら、その会社には入社していなかったでしょう。

私達は日常生活の中で色々と不満を見つけやすいものです。自分の理想に適わない様々なものを見つけ出して、「もっと○○だったら」と空想したくなるのですが、しかし実際のところ案外私たちの持つ関係性・置かれた環境というのは、自分の身の丈に合って構築されていくものです。

人間関係の鉄則は「人を変えることは出来ないけれど、自分を変えることは出来る。そして自分が変わると結果として相手も変わる」、です。ぜひこのことを覚えていただきたいと思います。
相手が変わること、会社が集団が変わることをどんなに願っても、そううまくはいきません。厳しいようですが、今のあなたにとってその人がちょうど良いパートナーであり、ちょうど良い集団なのです。けれども、もしあなたが成長し、あなたが変わることが出来たならば話しは違います。
あなたのパートナーは成長したあなたに相応しい人として変化していくでしょう。あなたの属する集団は段々と成長したあなたに見合う場所として変化してくでしょう。
周囲の人、周囲の環境が問題なのではありません。「自分はそのまま、周りが変われば」などと調子の良いことを考えてはいけません。
あなたが問われているし、あなた自身の成長の中に周囲の人や環境を変えていく可能性があるのです!

聖書には、私達が成長するための、変わっていくための知恵が詰まっています!ぜひ気軽に教会に足をお運びください。
44-1728 E-mail kawanachurch@ybb.ne.jp
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2013年11月11日

伝えたいことを上手に伝える方法

「あの人にどうしてもこのことを伝えたい」「このことをどうしても分かって欲しい」、そういうことってありますよね。でも、大事なことに限って中々思いが相手に伝わらないことが多いものです。
逆に、自分が言っても反発されるばかりなのに、あの人が言うと皆がスッと受け入れる。なんでだろう??、そんな経験もあるかもしれません。

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写真は本文と関係ありません。美味しいクレープ屋さんです(*^_^*)

私たちが陥りやすい失敗は、「どうしてもこのことを分かって欲しい」と強く願うからこそ、ついつい余計なことまで言ってしまうことです。
例えば誰かの言動が気になって仕方がないとします。そうすると、自分がその人のせいでどんなに嫌な思いをしているか、相手の行為に対する嫌悪感を現すために口汚く相手を罵る言葉を加えたり、その人の人格を否定するような言葉を付録的に口にしてしまうのです。

けれども会話においてそれはマイナスにしか働きません。
相手に自分の不快感情を伝えるために「あなたのせいで私はこんな嫌な思いをした。 あなたみたいな人間はこの先何をやっても上手くいかないダメな人間だ」、このように伝えたらどうでしょうか。
話し手は、後半の「〜ダメな人間だ」という言葉を加えることで、自分がどんなに嫌な思いをしているかを強調して伝えようとしたのです。
あくまでも理解して欲しいのは「あなたのせいで嫌な思いをした」ということです。
しかし、聞き手にとっては後半のきつい言葉があるために、前半の「私はあなたの○○によって嫌な思いをした」という話しの本題が頭に入りません。「あなたは何をしても上手くいかないダメな人間」と言われた言葉にだけ関心が集中し、感情的になるでしょう。
そうすると、話し手が伝えたかったことの中心はまったく理解されず、ドンドン会話は感情的になっていきます。

どうしても伝えたいことがある。分かってもらわなければいけないことがある。そういう会話においてこそ、自分の思いを強調する為に感情的な言葉を使わない注意が必要ですです。
一番効果的なのは「あの時、私はこんな思いをした」と事実だけをそのまま伝えること。これが一番印象に残り、また理解してもらえる可能性の高い言葉の使い方です。

そしてまた立場を替えて考えると、相手の感情的な言葉や自分を否定する酷い言葉を浴びせられた時に、即座に反撃していくのではなくて、「この人がこのような言葉を使いながら強調しようとしている話しの中心は何だろうか」、冷静に話しの中心を探り当てていけると、感情的な話し手の心を落ち着かせることが出来るものです。

関係が密接になればなるほど、伝えたい思いが大きくなって、伝え方も必死に・感情的になりがちです。
でもそうやって感情的に伝えた言葉では、自分が本当に伝えたい内容はかえって相手に伝わらず、付録的な非難の言葉だけが残ってしまいます。

本当に伝えたい、伝えなければいけないものだからこそ、汚い言葉・感情的な言葉は持ち出さないこと。
そして感情的な言葉を直ぐ真に受けず、そのような言葉を使いながら相手が伝えたいと願っている事柄の中心を見抜いていく。
こんなことが身についてくると、会話は段々スムーズになっていくものです。

皆さんの日常の中にある様々な問題、一緒に考え乗り越えていきましょう!
気軽に連絡下さい。
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2013年11月02日

変えるのではなく、生かすこと

子育てにおいて、子どもの個性を正しく把握することは大切です。
ある精神科の医師からこんな話を聞いたことがあります。ある方が長い間心の病を抱え通院を続けていました。主治医は病を癒すことではなく、病を抱えている自分を受容していくようにと粘り強く関わっていました。
けれども、数年間通い続けてある時、その方は新進気鋭の若い名医の病院に転院していかれました。今の自分を受容することよりも、回復して別の自分に生まれ変わることを願ってのことでした。
そして、新しい主治医によってその方の病気は数ヵ月後に完全と言える程に治ったそうです。しかしその方は程無くして自死してしまわれた、という悲しい話しです。

このエピソードを絶対視して頂きたくは無いのですが、ただこのストーリーの中に一つの大切なメッセージが含まれていると私は思うのです。
直すこと、変わることだけが良いことだと思い過ぎると、それが時にその人の個性・人格を否定することに繋がってしまいます。
のんびりした子どもをテキパキした子どもに変えることはできません。もしそんなことが出来たとしたら、それは恐ろしいことです。別人に生まれ変わらせるという発想は厳しいようですが教育よりも、暴力に近いと思います。
教育とは、のんびりした子どもの個性を伸ばしながら、のんびりした性格がマイナスに出ないように援助することです。
例えばのんびりした性格の方は、一つ一つの行動に時間をかけますから丁寧で細部にまでこだわるという長所があります。一方で、のんびりした方は時間にせかされると失敗を連発する傾向があります。
ですから、のんびりの長所を見つけ伸ばしながら、慌てて失敗をする局面に陥らないように「事前に準備をすること」「余裕を持って行動すること」などの癖などをつけさせ短所をカバー出来るように促していく。これが教育です。

近年AD/HD(注意欠陥・多動性障害)という言葉を良く耳にされると思います。
極端に落ち着きが無かったり、身の回りの管理ができなかったり、それが怠慢ではなくやろうと思っても出来ない障害として備わっているというケースです。
やらなければと思っても出来ないお子さんに「○○をしなさい!」と怒鳴り続けることは、そのお子さんが「あなたはダメな人間だ」と言われ続けることに等しい行為です。このような関わりの問題は非常に大きいです。

けれども仮にAD/HDと診断され、「やらない」のではなく「出来ない」のだと分かるとどうでしょうか。
出来ないことをやらせることではなく、出来ないことをどのようにカバーしていくかを考えるでしょう。そしてしばしば、こうしたハンディキャップをお持ちのお子さんは一面において大変優れた特性を持っておられます。長所を伸ばし、短所はカバーする。それで良いのです。
長所と短所はお札の表裏。その子の個性を否定するのではなく、その子の個性の良い現れを発見し生かしていける生き方を援助すること。それとともに、マイナスに現れない生き方を援助すること。そうやって、その子の個性を変える(否定する)のではなく、生かすことを考えてあげられたら良いですね。安心して下さい。
ダメな子なんか絶対に居ません!

「家の子ダメだ」と思い詰めておられる方、出来ないことに怒り続けてしまっているという方、一人で悩まないで相談して下さい。教会はいつだってあなたの味方。あなたの力になります!

牧師とお話ししたい方は連絡下さい。もちろん教会ですから無料です。
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2013年10月26日

夫は夫、妻は妻、子は子、義父母は義父母、、、

中々ピンと来ない話しかもしれませんが、私がご相談を受ける中でしばしば問題の原因になっていると思える事柄について今日は簡単にまとめてみたいと思います。

赤ちゃんとお母さんは出産後10カ月くらいまでの間、母子一体感と呼ばれる非常に密接な関係性の中にあります。密接というより二人で一人と言えるような状態です。
例えば赤ちゃんはミルクを貰った時に「ありがとう」と思いませんし、オムツを替えてもらった時に「迷惑掛けるね」と思っていません。当たり前ですが^^;
自分の欲求を満たしてくれて、不快を取り除いてくれて、いつも快適に過ごさせてくれる親の存在を自分の一部と感じているのです。このような母子一体感を体験することは非常に大切で、その後の自立に向かう歩みの土台になっていきます。

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このように自分の要求・必要を無条件に満たしてもらう親子の関係性は重要です。
幼少期における親への甘えや要求が適切に満たされていることによって、自らが親になった時に子どもを適切に受容し育むことができるのです。(もちろん完璧はありません)
もしこのような経験が著しく欠けている場合どのようなことが起こりやすいでしょうか。

自分が大人になった時、親になった時、パートナーや子どもに対して自分が幼少期にもらえなかった満たしを求めやすいのです。
親にしてもらった行為を子にすることもまぁ簡単なことではありませんが、親にしてもらえなかった行為を子にするというのは本当に大変なことです。多くの場合、子どもの時に親にしてもらえなかった行為を、大人になった時に無意識にですが周囲に求めたくなってしまいます。

難しいことは、幼少期に得られなかったものを大人になって求めてしまう方は、他者が与えてくれるものを「感謝」として認識することが出来ず、周囲の人がしてくれる行為を「当たり前」と受け止めやすいです。一方自分の望むものを与えてもらえないことに対しては過度に敏感になりがちです。
これは正に母子一体感にある子どもの感性そのものです。ただ、ゼロ歳児には許されることですが大人になってのこのような感覚は家族関係・社会生活に致命的な問題を引き起こしてしまいます。

傍から見ると「あの人は良いパートナーに恵まれ、良い家族・友人関係に恵まれ」と思える人が周囲の人への不平不満で一杯ということがあります。
色々なケースがありますが、一つの可能性としてどんなに素晴らしいパートナー・家族・友人関係を得たとしても、その人たちに親の役割を求めるならばその人の要求を満たせる人はどこにも居ないということです。
夫は夫、妻は妻、義父母は義父母、友人は友人、同僚は同僚、子どもは子ども、当たり前のことのようですがしばしば自分の幼少期の欠けを無意識に現在の人間関係に求めて満たされず不満に追い立てられているということがあります。そのような「やってくれて当たり前」という無意識の思い込みが無いでしょうか。

あなたの得られなかった悲しみを満たすことは人には出来ません。私にも出来ません。
ただ神様だけがあなたの悲しみに心底同情し、慰めを与えて下さるお方。求めるべきお方を知る時に、あなたの周囲の方々が与えてくれている物の大きさもまたはっきり見えてくるものです。

牧師とお話ししたい方は連絡下さい。もちろん教会ですから無料です。
44-1728 E-mail kawanachurch@ybb.ne.jp
礼拝はどなたでもお越しになることが出来ます。
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2013年10月20日

その問題、ホントにどうしようもないことですか?

皆さんは「割れ窓理論」(Broken Windows Theory)ってご存知でしょうか。アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングという人が考案した犯罪を抑止するための理論です。
簡単に説明すると、ある建物で割れた窓一枚を放置していると周囲に対して“ここは誰にも注意を払われていない場所”というメッセージを与え、やがて残りの窓も割られていき最後には建物全体が荒れすさむということです。

20年前、今よりも遥かに凶悪犯罪が多発していたニューヨークで当時のジュリアーニ市長が治安回復を選挙公約にして当選し、割れ窓理論のケリングを顧問にしてこれを実践しました。
彼は地下鉄など街中の落書を消すことに始まり、爆竹や騒音、未成年者の喫煙など軽犯罪として放置されていた事柄の抑止に取り組み、その結果、殺人などの重大犯罪の減少に成功したと言われています。

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こういうことって確かに心当たりありますよね。例えば車で走っていて、放り投げられたと思われるゴミが集中しているような場所。あれって正に割れ窓理論の心理が働いているのだと思います。
ゴミの無い場所にゴミを放り投げることは抵抗を感じても、ゴミが無関心に放置されている場所だと抵抗感が和らいでしまうということは人間の心理としてあるでしょう。
マザー・テレサさんが「愛の反対は憎しみではありません。無関心です」とおっしゃいました。無関心の場所に問題は集まってきます。

色々なご相談を受ける中で、「これこれの問題で私は今どうしようもない状況です」と訴えられることがあります。
確かに、相談者の方が抱えている問題はどうにも出来ない深刻な状況である。けれども、そのどうしようもない問題が起こる原因・遠因となっている事柄は、やろうと思えば出来るはずの些細な事柄が放置された結果なのではないかと思えることがあります。

凶悪犯罪を防ぐことは個々人には難しくても、落書きを消すことなら出来ます。落ちているゴミを拾うことは出来ます。
人との関係性も同じです。親子関係・夫婦関係・人間関係に深刻な問題が起こった時にその事柄に対する直接的な解決が困難に思えたとしても、だから無力なのではありません。
声をかける事、関心を持つこと、話しを聴くこと、食事を共にすること、感謝を伝えること、謝ること、時間を共有すること、家に居る時間を増やすこと等など私たちに出来ることはたくさんあるし、出来るのにされていなかったことはたくさんあるのではないでしょうか。

手の届かない重大問題を嘆くよりも、手の届く軽微と思えるしかし関心を向けて来なかった問題を改善していくことの方がずっと有益なのです。
イエス様が教えて下さいました。「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」

大きな問題を一人で抱えて悩んでらっしゃるあなた、ご一緒に出来ることが無いか考えてみませんか。
“変えていこう”と思うあなたのその思いを川奈聖書教会は応援します!
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2013年10月13日

コントラバスに挑戦

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ヴァイオリンの技術を応用して何とかコントラバスを攻略しようとしています...。

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2013年10月11日

変えるべきこと、受け入れるべきこと

皆さんそれぞれに毎日の生活の中で戦わなければならない、乗り越えなければならない課題が沢山あると思います。
けれども、そうやって苦闘している方とお話ししていて、時に「この方は本当にこの課題と戦わなければならないのかな。戦うことより受け入れることが必要なのではないかな」と思うことがあります。
いつでも何に対しても戦いを挑むことが強さだと思ったらそれは間違いです。
戦うべきものと受け入れるべきものとを見分ける識別力が必要です。

あるおばあさんが重たい病が進行してお腹がパンパンの状態で病院に運ばれてきました。相当苦しいだろうと思うのですが、医師にも看護師にも心を開きません。そんなおばあさんの担当に、見習いのような看護師さんがつくことになりました。
経験がありませんから何をして良いか見当もつきません。それで、とにかくおばあさんの手を握って、痛いと言えばひたすらその場所をさすり、苦しいと言えば背中をさすり、そのことを毎日繰り返していたのです。そういう若い看護師さんに、段々おばあさんは心を開くようになり、やがて自分の身の上話をするようになりました。
自分が生まれ育った話し。結婚、妊娠、出産の経験。その子どもが今はどこにいるか分からないこと。夫との死別。そんな話しを繰り返しいる内に、不思議なことにそのおばあさんの痛みが段々消えていくのです。
やがて、病気によってパンパンに膨れ上がったお腹をおばあさんは妊娠さんのお腹に例えるようになります。「今日はお腹の赤ちゃんが動いた。今日は足を突っ張った」そうやって和やかに話しながら、静かに息を引き取られたという話しです。

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誰にも心を開かなかったおばあさんが、自分の痛みを受け止め、苦しみに共感してくれる看護師さんに心を開き身の上話しを始めました。
つまりおばあさんが受け止められなかったのは病では無く、これまでの自分の人生そのものだったのです。苦労の連続、その中でようやく育て上げた子どもと今は音信不通。夫は亡くなり、そして今度は自分が病を患いこんなに苦しい思いをしている。
そういう自分の人生を恨み、そういう人生と戦っていたから心を閉ざしていたのです。しかし、おばあさんは今の自分を受け止めてくれる存在に出会うことで、少しずつ今の自分を、そしてこれまでの自らの人生を受容するようになっていきます。最後には膨れ上がったお腹を「赤ちゃん」と例えられるほどに、自分の命を奪う病までも自分の存在の一部として受容していかれた。  
自分の人生を作り変えようと戦うのではなくて、自分の人生をそのまま受け止めて行く時に状況は変わらなくても、お婆さんに見える人生の景色が一変していったのです。

今日あなたに一つのお祈りの言葉を紹介したいと思います。
「神よ、変えることのできるものについて、それを変える勇気を与えたまえ。変えることのできないものについて、それを受けいれる静けさを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」

変えることのできないもの、それはつまりあなたの人生、あなたという存在の大切な一部分です。それを変えようともがくことはつまり自分自身を否定することです。それは本当に辛いことです。
あなたが今戦っていることは変えるべきものですか、受け入れるべきものですか?
先ほどのお祈りの言葉を反芻しながら、神様に正しい人生の識別力を頂きましょう。別のあなたに生まれ変わることではなく、今のあなたが生きていくことを神様は望んで下さっているのかもしれません。

川奈聖書教会はあなたのための教会です。気軽に足をお運びください!
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2013年10月03日

ひなたぼっこ

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ついに我が家に日向ぼっこの季節がやって参りました(^^)/
ぬいぐるみ犬チャペル、はやくもポッカポカです。。。

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