2014年02月20日

浅田選手へのエール

オリンピック盛り上がってますね!!と言いながら、全然関心が無かった山口です^^;
しかし、女子フィギュアの浅田選手のショートプログラムについて「誰がどうの」と発言を伝え聞いて、自称「頑張っている人の応援団」としては黙っておられません。
急ではありますが...、しかも私が急いでもどうしようも無いのですが...、それでも居てもたってもおられず伊東の地からブログを通して浅田選手へエールを送りたいと思います!

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オリンピックが始まる前から下の娘が「まおちゃんに似ている」と言われてました!! ごめんなさい…

今は牧師をしておられる小坂忠さんというシンガーソングライターをご存知でしょうか。
彼がおつくりになった「勝利者」という名曲があります。
1984年のロサンゼルスオリンピック女子マラソンで、脱水症状に苦しみフラフラになりながら必死にゴールを目指したアンデルセン選手の姿に感動して生まれた曲だそうです。
出だしの歌詞はこんなです。
「何が苦しめるのか 何が喜びを奪い去るのか 
心の中にはいつでも 嵐のような戦いがある
勝利者はいつでも 苦しみ悩みながら それでも前に向かう



某氏の発言を聞いてカァァァ!!ときました。
一瞬Facebookに某氏の悪口雑言を書き連ねようかと思いましたが、止めました^^; 多分、自分の中にもああいう短絡的に人を判断したくなる愚かさ・醜さがあるからこそカチンとくるのだろうと思います。

結果なんかどうでも良いとは思いません。それは4年間必死に努力してきた浅田選手に失礼でしょう。
良い結果、それは順位以上に自分に出来る最高の演技をしたかったという、そういう意味での結果を求める思いは強かったと思います。ショートプログラムが終了した現時点ではどんなに悔しい思いをなさっているでしょう。

それでもやっぱり、一つの結果だけで価値を決めてしまいたくはありません。
ニュースではフリーのプログラムに向けて懸命に練習している浅田選手の姿が報道されていました。素晴らしいです。
最後まで自分のベストを尽くそうとする姿勢。そうやって4年間頑張ってこられ、今最後まで頑張り抜こうとしておられるご姿勢。これぞオリンピック選手、尊敬に値します。
金メダルの表彰式より自分の子どもに見てもらいたい、学んでもらいたい姿だなぁと思いました。

人生で苦しい局面の一つに、全力で懸命に頑張って、でも上手くいかない時。失敗してしまった時、ってあるのではないでしょうか。それでも最後までやり抜くこと。前に向かうこと。とっても大切だと思います。
「みんなに金メダル」とは思いません。順位付けがされるのがこの世の中。成功と失敗、合格と不合格に色分けされてしまうのが世の現実です。
そういう世の中だからこそ、メダルの色・順位・合格不合格を超える輝き、価値が鮮やかに浮かび上がるように思います。
金メダルがあるからこそ、金メダルを越えた輝きが際立つのだと思います。

浅田選手、応援してます(●^o^●)

そして、川奈聖書教会は苦しみながら、失敗しながらも前に向かっているあなたを応援しています!

posted by pastoryama at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 番外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月13日

番外編:スペース伊豆夢より「ニーズは価値じゃない」

先日火曜礼拝にお越し下さった友人ゼイさんが、噂のスペース伊豆夢でのセミナーのDVDを下さいました。さっそく受講させて頂きましたよ〜。
というわけで、原先生からThe Grateful Dead というロックバンドを手掛かりにマーケティングについて教えて頂きました。。。
あっ、もちろん教会は事業では無いのですが...、でも正直大変勉強なりました。

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The Grateful Dead、このグループの特徴は自分たちをレコード会社の商品として売ってしまはなかったこと。多くの場合ミュージシャンってレコード会社・プロデューサーによって作られた虚像ですよね。
演じているだけで、見ている方はそれが実像では無いとどこかで分かっている...。
でも彼らは違った。「人の求める自分」ではなくて、「自分を喜んでくれる人」を大切にしていったという、この方向性が素晴らしい。。。

皆が期待する自分を演じて喜んでもらう。事業をなさっている方なら、お客さんのニーズに応えることで利益をあげて行かれるという、ごく当たり前と思える道筋にThe Grateful Deadと原先生は「そんなのNO<(`^´)>」!!
そうじゃなくて、自分がそもそも与えられている価値は何かを発見し、それを磨き上げ提供することで必要としておられる方に喜んでもらう。教会の言葉でいえば、ミッションに生きること。
The Grateful Deadって、他のグループに比べてものすごく息が長かったそうです。30年くらいとおっしゃってました。それは、彼らを喜ぶ人々の存在。そこで生まれた相互の関係性の深さと共に、虚像ではなく実像として生きられる彼ら自身の喜びがあったからだと思います。
演じて生きるって疲れますよね^^; もちろん、自分が生きたいように生きればそれで良いとは思いません。
でも自分が何者か分かっていなかったら、本当の意味で他者に価値ある物を提供することなんて出来ないし、人に喜びを与えることも本当には出来ないんです。

自分が神様によって与えられている価値を大切にし、ミッションに生きる。多分万人受けはしないと思います。でも本当にあなたを愛してくれる人、喜んでくれる人、必要としてくれる人が見つかります。
あなたに与えられている素晴らしい賜物・価値・ミッションが100人の喜びとなるものだったとして、500人に評価されたい・喜ばれたいと思った瞬間あなたは変質してしまいます。他者の求める自分を演じることで自分を失ってしまうからです。
自分の分を超えちゃダメだし、超えたいと思ったら上手くいきません。それは自分じゃないから。
自分を知り、自分を愛することが無かったら、「あなた」が愛されることも無いですよね。
The Grateful Deadは他のロックバンドのようなメガヒットがあるわけではないそうです。でもコアなファンが居て30年もの間愛され続けた。
僅かな期間で爆発的な人気を博することと、飛び抜けた人気が無くてもありのままを長く愛されること。
幸せなのは後者だと私は思います。

一つだけ知っていて下さい。人が求める偽りの自分が100人に評価されるより、本当の自分を喜んでくれる1人が居てくれる方が人生は絶対幸せなんです。
だからまずは、あなたを喜んでくれる100人を探すことより、ありのままのあなたを喜んでくれる1人に出会えることが目標です!
逆に自分らしさを失った自分が評価されることで、自分は益々惨めになり不幸せになっていきます。なぜなら、偽りの自分が評価されるとは、本当の自分が否定されることだから。

そう考えて行くと、大切なことは「何をすれば、どうすれば」のHow toではなくて、「なぜ上手くいかないのか、なぜ私は存在しているのか、何のために私は生きているのか」Whyに目を向け、そこに明確な答えを得て行くこと。
時間をかかるけれど、この問いを追求していくことは単に事業の成功に留まらない。人生の成功。それは物質的な成功では無くて、生きることの充足としての成功に繋がっていくでしょう。

原先生とスペース伊豆夢の皆さんのご活躍〜本当の意味でのご成功〜をお祈り申し上げます(^^)/
http://hara-k.com/

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2014年02月06日

番外編:佐村河内氏の事件に思うこと

交響曲第1番「HIROSHIMA」などの作曲で知られる佐村河内守氏の主要作品の大半が実は作曲家・新垣隆氏によるものだと分かった事件が連日大きく報道されています。
彼らの行為の問題性は明らかです。特に聴覚障害、被爆二世、こうした弱者を装ったやり方はあまりにも悪質です。ただ、ある特定の人の問題として片付けるのではなく、そのことを生みだした要因をそこに関わる人々が直視することは大切だと思います。
そういう意味で音楽に関わる方々や愛好家がプロアマ問わず率直にこの事件について自分の言葉を発していく必要があるように思います。
私というクリスチャンのアマチュア音楽家が感じたこと、考えたことを自らのブログにまとめたいと思います。

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私はテレビをあまり観ないこともあって、佐村河内守さんの音楽は幾人かの方の紹介でyoutubeで観たくらいでそれ程詳しく知りません。
漠然とした感想として「聴きやすい音楽だな」と思ったこと。そして現代に生きる作曲家がなぜこういうジャンルで曲を書くのか若干不思議に感じたことくらいで、むしろ遥かに印象的だったのは彼の持つストーリー。聴覚を失いながら、音を紡ぎだしていくというその作業。そこから生まれた曲であるという、作曲家と曲が一体化したストーリーが非常に印象深く心に残りました。
被爆二世であること、また特にも音楽をするには決定的なマイナス要因である聴覚の障害を持ちながら、いやむしろ聴覚障害を持っているからこそ生みだされてくる音楽として、彼の作品があることの意味は大きいと感じました。結局その物語が創作であった訳です…。

音楽に限らず芸術は、その作品を生みだしている人と観賞している人の人格と無関係には存在しません。人を離れて芸術作品が自立しているということはあり得ない訳で、人と人との間に音楽が存在する以上、そこに関わる人の持つストーリーが影響を及ぼすことは当然です。
ですから、新垣さんという真の作曲家が判明して今度は彼の作品としてこれらの音楽が変わらずに愛されていくかと言えば、当然そうはならない訳です。その音楽に人々が観ていたストーリーが偽物だと分かった以上、まったく違う物に変質してしまいます。

経営のプロである友人のゼイさんが良くおっしゃっていることは「伝え方」です。ゼイさんの所で勉強しておられるお肉屋さんのチラシをよく拝見するのですが、とっても美味しそうで食べたくなります。
値段や品質よりも、そのお肉を食べた人の感想。お肉をお家で調理して起こった家庭での出来事などが目に浮かぶように書かれていて思わず手が出てしまう。(実際、家族で美味しく頂きました(^^)v オススメ。。。)

で、今回の佐村河内さん事件の核心は宣伝されたストーリーが全くのインチキだったということですね。これは禁じ手です。でも考えてみて下さい。世の中、こういうことは珍しくないでしょう。
今人気のアイドルグループ、メンバーは恋愛禁止だそうです。10代・20代前半の少女たちが恋愛をしていない、そんなはずないこと誰でも分かります。
特定の恋人が居なかったとしても、恋愛感情が無い訳ではありません。無理して装っているだけ。その人本来の人格を歪めて売り出しているだけです。
しかし、演じる側も応援する側もお互いに「これは真実だ」と信じ合う。

そうやって演じる側は、本当の自分を殺して生きることで評価を得、観る側は自分を殺してファンの理想を演じるアイドルに時間とお金を使う。
虚像を演じる人と虚像を支える人、両者の間に成立する共依存関係はこの社会の縮図だと私は思います。「どちらが」ということではありません。両者が求め合っているのです。
今回の佐村河内さんの事件に、私は現代社会が持つアイドル信仰、あり得ない虚像を求める貪欲の問題を思います。だから彼が犠牲者だということではありませんが、このような偽りを暗躍させてしまう土壌は何かを考える必要があると思うのです。

私たちは劇的な物を求め過ぎるのではないでしょうか。佐村河内さんのキャッチフレーズは「現代のベートーヴェン」だったそうです。
偉大なクラシックの作曲家は沢山いますが多くの作曲家は生前それ程高く評価されていません。歴史の中で熟成されながら、巨匠としての地位を得たのであってリアルタイムでは無い。だから良いとさえ私には思えます。
現代にベートーヴェンは居ない、そのことを弁えられないわがままなアイドル信仰を私たちは反省する必要があるのではないでしょうか。

もう一つの側面について書いて終わります。
私は今教会の聖歌隊、そして市内の弦楽合奏団の指揮・指導をしています。どちらももちろんアマチュアです。技術的には未熟です。しかし、しばしば非常に豊かな音楽をそこに経験します。聖歌隊のコンサートでは毎回涙を流して聴いて下さるお客さんがおられます。
先日アマチュア合唱団のヴェルディ・レクイエムの演奏をDVDで拝聴しました。オケはプロです。しかし、そこで圧倒的に印象に残ったのはアマチュアの合唱団の演奏です。感動しました。
これらの経験を通して、アマチュアリズムということを考えさせられるのです。プロフェッショナルな方が専門性を持って突き詰めて勉強していき、結局そこで行きついたこと。専門家として提示される事柄が一般人には何ら意味の無い、意味の分からない物であるということがあるでしょう。

人と人との間に存在する音楽は、遥かに技術的に劣ったアマチュアの方々の音楽であってもそこに深い感動を生みだします。いや、アマチュアだからこそ生みだすことのできる感動があると言えるかもしれません。
一方、プロは専門性において厳しく問われます。それは当然のこととして、しかしプロフェッショナルである方がアマチュアリズムを失ってはいけないのです。高い専門性を持ちながら、一般の人々・愛好家と共有できる音楽の喜び・アマチュアリズムを持ち続けていなければ、プロフェッショナルな音楽家として本来ある意味を失ってしまうのではないでしょうか。

私は今回の出来事が、プロフェッショナルな世界において見落とされがちなアマチュアリズムと、愛好家が求めるアマチュアリズムの枠を超えたアイドル信仰と、この両者の隙間に起こった事件なのではないかと考えています。
そして、これらのことが音楽の世界に留まらない現代に共通する問題に思えてなりません。強く自戒を込めて長々と書きました。

注)全ての音楽家や全ての愛好家をこのように断定しているのではありません。この時代の大きな流れ・方向性として、また特にその中に生きている私自身を思って書きました。


posted by pastoryama at 15:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 番外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする