2014年12月09日

特効薬を求めないこと

川奈聖書教会の初代牧師 荒井基先生は日本女子大で長年栄養学教授としてご活躍になられ、60歳を過ぎてからその職を離れて川奈で教会を開拓されました。
特に母乳に含まれる免疫機能の研究では日本において先駆的な役割を果たされた方だと伺っています。
その荒井先生がよくおっしゃっておられたのは、「食事はバランス良くが基本です。ちまたで言われる特効薬のような食べ物はありません」、ということでした。

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荒井牧師に長女の祝福を祈って頂いた11年前の写真

「○○を食べると○○に良い!」みたいなことをテレビが取り上げると、もうその日の夕方にスーパーの売り場が品薄になっている。そういう風潮を嘆いておられました。
先生曰く「そうやってブームになった食べ物が注目され続けることがありますか?バランス良く食べ続ける、それが一番大切なことです」、荒井先生のおっしゃることはシンプルですが一貫性があり大事なことをたくさん教えて頂きました。

荒井先生が栄養について教えて下さった言葉は人生にもそのまま当てはまると思います。
しばしばびっくりするような特効薬が求められる時代です。人生が劇的に変わる偉人の言葉とか、心が一瞬で聖くなるような感動の話しとか、雷に打たれるような劇的な発見とか、、、でもそういうことで人生が大きく変わったと言う人はあまりいないと思います。
ネットをボンヤリ眺めながらたまたま手に入った情報で自分が別人になれるような感動を味わって、でもたまたま手に入った物というのはそれ相応のこととしてしか人生には意味を持ちません。

「食事はバランス良く」、これくらいの言葉ならレタスとキャベツの違いもおぼつかない私でも言えそうなことですが、こういうシンプルな言葉を何十年栄養学について研究し続けてこられた先生がおっしゃるからこそ意味があるし、説得力・影響力が生じるのです。

特効薬が求められる時代です。仕事も、勉強も、子育ても、夫婦関係も、健康も、特効薬を直ぐ探し始めてしまいます。私が教会でお受けする相談も、どんどんそのような傾向が強くなっているように思います。
一度お会いしてそこで何か自分が変われそうな劇的な何かをもらえないだろうか、と...。
でもそういう期待に応えようとは思いません。その期待を諦めることから人生の方向転換は始まるのです。
そして劇的な物には必ず反動や弊害があることも忘れてはいけません。細かい説明を省きますが、それは依存症の心理です。
劇的な経験は直ぐに効果を失い、更なる劇的な物を求めたくなり・・・、そうやって劇的な何かに依存することでしか人生を支えられなくなり、人生の目的が「劇的」を得ることにすり替わってしまいます。

ですから、特効薬を求めたくなる方がまず認めなければいけないことは、特効薬では人生は変わらないということ。「バランス良い食事。それを続けること」、という荒井先生の実に単純で地道なメッセージ、でも確かにその通りなのです。
何かの特効薬で、自分の暗部を誤魔化そうとするのではなく、その暗部を認め続け、そこに必要な物を与え続け、自分にとってマイナスになるものを取り除いていく。
そうやって10年、20年、、、バランス良い食生活が生涯に渡って求められるように、バランスの良い心の栄養、人生の食生活を考え続けていく。
本当に必要なものは一時的な特効薬ではありません。生涯に渡って自分に与え続けるべきものを見つけること。そして、それを続けていくこと。まずはそれが出来ない自分を認める所からはじめてみませんか。

「わたしはいのちのパン」とおっしゃったイエス様のことばを教会が語り続け、またそこに集まってくる方々が毎週聴き続けいく理由はこんな所にあるのです。

川奈聖書教会は掛け替えの無いたった一度のあなたの人生を応援しています!
日曜礼拝 午前10時半から12時
火曜礼拝 午後7時から8時 どなたでもお越し下さい。

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2014年10月04日

退屈な人生の原因は?

伊東大田楽を観賞してきました。
今回は一般参加のお子さんたちも居たのでとっても賑やかでした。何の分野でも子どもたちが一生懸命取り組んでいる姿は良いものだなと改めて思いました。
ぜいさん夫妻のお嬢さんがいつも熱心に練習しておられて、最近良く大田楽のステージを見させて頂くのですが、あの単純なメロディとリズムの繰り返しの中に生まれてくる深遠な世界は癖になります。今や大田楽ファンです!

写真 2014-10-04 16 00 25.jpg

クラシック音楽は基本的に同じことの繰り返しをしません。同じフレーズであっても二度目であることの必然的な変化というのを必ず表現するのです。
繰り返しといえばラベルのボレロが有名ですが、同じフレーズの中にこそ壮大な変化が表現されていきます。
https://www.youtube.com/watch?v=3KgpEru9lhw(←関係ないですがこのボレロは面白い)
一方大田楽のような音楽は、むしろまったく同じように繰り返される音とリズムの中にこそ美を見るのでしょう。延々と続く同じことの繰り返しの中に不思議と馴染んでいき深まっていくリズム・メロディが実に心地よく退屈しません。
それは恐らく、変わらない音楽の中でその音楽を受けとめている私自身が変化していくからです。同じことを経験している中で、自分自身が変化し、同じ音楽が受けとめる私の変化の中で新しい意味をもつようになる。
西洋音楽と東洋音楽のアプローチの違いのようなことを考えていました。

私たちの人生も同じではないでしょうか。
ともすると「単純な毎日の繰り返し...」と日々の生活をつまらないものと文句を言ってしまうことがあります。
毎日同じ時間にご飯を作って、洗濯機を回して、掃除機をかけて...。毎日同じ時間に起きて、ご飯を食べ、満員電車に揺られ、会社に着き...。
そうやって同じことの繰り返しに満足できなくなった時に、詰まらぬ変化に心を奪われ自分を支えてくれている変わらない大切なものを粗末にして、人生を傷つけてしまいます。

人生を退屈してしまう原因は変わり映えしない日々の生活や周囲の人々にあるのではありません。変わることができない、成長出来ない自分が居て、同じ事柄の中に新しさを見出すことが出来ていないのです。
同じことの繰り返しの中でも自分自身が成長していけば、そこにはいつも新しさがあるはずです。
楽器でもスポーツでも、何をするにも反復練習は大切です。例えば、フルート初心者の家の長女が取り組んでいると同じ基礎練習曲をフルーティストの義妹は今もこなしているそうです。
同じ練習であっても、演奏する本人が成長することでその練習が益々深い意味を持つということでしょう。

今日が、明日が、退屈な変わり映えしない一日であるか、はたまたワクワクするような新しい一日であるか、そこに生きる私たち自身が問われていることを受けとめることができたら、それだけで私たちの人生は前に進み始めるものです。
たった一度の掛け替えの無いあなたの人生が素晴らしいものとなるように、川奈聖書教会はあなたを応援しています!
牧師とお話ししたい方はE-mail kawanachurch@ybb.ne.jp 44-1728 気軽に連絡下さい!

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2014年08月18日

孤独とどう向き合うか

現代人は孤独が苦手です。そしてまた「孤独=悪」という発想があるように思います。しかし私たちの生活には孤独が必要です。

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最高に楽しかった教会学校キャンプ!!子どもたちの人生を替わりに生きることは出来ませんが、自分の人生を小さな足で踏みしめ歩こうとする子どもたち一人一人を教会学校は全力で応援しています(^^)/

数年前、クリスチャン新聞の新年号に掲載する説教の依頼を頂きました。「地方教会の苦労とその中に見出される望み」というようなテーマを頂いたように記憶しています。
それで今から7年前くらいに起こった一つのエピソードを紹介しました。ある朝、外階段を降りて教会の玄関の前に立つとそこにビリビリに破かれた聖書が散らばっていたのです。散乱する破かれた聖書を拾い集めた時の悲しみは忘れられません。
しかし、そうやって「こんな辛いことがありました」と紙面に書ける苦労というのは本当の苦労ではありません。本当に苦しかったこと、辛かったことは紙面には書けません。いや、書いてはいけないことなのです。

しばしば孤独についての悩みを伺う機会があります。「そんな物は悩みでは無い」というつもりはありません。ただ、その悩みは決して思いがけないことでは無いのです。
私たち全ての人間には神様から与えられた使命があります。そして、自分に与えられた使命を果たすためには孤独は避けて通れません。なぜなら、それが「あなただけに与えられた特別な仕事」だからです。

いつもブログに書きますように相談することは大切です。「孤独な場所こそが私の使命」と耐えられない苦しみを黙って担い続けることをおススメしているのでは決してありません。
人は一人では生きられません。助けを必要としています。友を必要としていますし、助言をくれる先生が必要です。私自身ももちろんそうです。
ただ自分に助けが必要な時には、責任を持って相談しなければいけません。
「これは私には負い切れない重荷であるから助けを求めよう」、と自覚的に信頼できる人や力になってくれる人に助けを求める、これは責任ある優れた行動であって何ら恥ずべきことではありません。しかし、現代においてはしばしば孤独を安易に(厳しい言葉を使えば“無責任に”)回避してしまうのです。

最近ですとSNSなどで自分の近況を簡単に発信することができます。
SNSは良い意味で孤独を回避するツールだと感じる面は多々あります。例えば病院に入院している時に、病院に居ても家族や友人の様子を知り繋がることが出来る。外国でコミュニケーションの困難やストレスの中にある時。子育ての苦労の中で友達と関わることが中々出来ない状況。などなど、SNSは人生の危機の中で非常に有益な助けになる面があり大いに活用されるべきだと思います。

でも一方で、あまりにも手軽に聞いてもらえる、知ってもらえる、励ましてもらえるゆえに、自分自身で向き合わなければいけない課題や責任を安易に公開し、「いいね!」と応援してもらったり「大変だね〜」と慰めてもらえたり、「そうだそうだ」と同調してもらったり、そういうことがあるのではないでしょうか...。
私たちの人生には責任を持って向き合わなければいけない「必要な孤独」があります。理解されない苦しみや、誤解される悲しみ、先行きの見えない不安、人の不条理、仕事や家事の苦労、身に覚えの無い批判、様々人生に「孤独」があるでしょう。
繰り返しますが、そう言う中で相談したり助けを求めることを「悪い」と言っているのではありません。ただ、相談したり助けを求める時には、責任を持って自覚的にそのことを為すべきです。自覚的に「孤独」に向き合い生きることの中で人間は成長するのです。
一方、その場所を「安易」に、「無責任」に扱っていると、人生はドンドンと綻んでいきます。SNSの依存症の要因の一つもこういう所にあるのではないでしょうか。

私自身もfacebookを多用して、皆さんに「いいね!」といつも励まして頂いて本当にありがたく思っています。だからこそ、自分の担うべきものにはしっかりと向き合いけじめをつけていきたいと自戒させられますし、助けが必要な時には自覚的にしっかりとそのことを相手に伝え、助けを得ていこうと思います。

川奈聖書教会は自分の課題に向き合おうとするあなたをいつも応援しています。
あなたの人生を替わりに生きることは出来ません。でもあなたが自分の人生に向き合おうとするその思いを精一杯応援させて頂きます!いつでも連絡下さい。
Email kawanachurch@ybb.ne.jp
44-1728


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