2014年12月23日

「思うこと」と「考えること」の違い

気持ち・感情が過度に重んじられることの多い時代では無いでしょうか。
気持ちは大切ですが絶対視すべきではありません。「感じるがままに」「思うままに」「ありのままに」という感性偏重主義は危ういものだ思います。

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川奈聖書教会のクリスマスイヴ礼拝 24日(火)夜7時から8時 ぜひお越しください!

例えば病院で「おかげんいかがですか?」とお医者さんに尋ねられた時に、「苦しいです」「痛いです」「辛いです」「楽になりました」など感覚的な患者さんの反応だけを頼りに治療がなされるということは無いのだろうと思います。
患者さんの気持ちや感覚は、その方が抱えている問題・原因・状態を医師が見抜く手掛かりになるでしょう。そうやって、お医者さんは患者さんが抱えている問題の原因を突き止め対処していかれるのです。
同じように、カウンセリングにおいて相談者の気持ちや感覚に終始する対話というのは発展性を持たないように思います。様々な気持ちや感覚の原因となっている事柄を見抜いていくことが援助者の大切な仕事です。

気持ちや思い・感情は大切なものですが、それは絶対ではありません。
「嬉しい、楽しい、喜び、悲しい、怒り」、自分が感じている感情を素直に受け止めることは良いことですが、一方で「なぜこのような感情・感覚を私は(相手は)持っているのか」、感情や思いの源泉に対して論理的であることは大切なことです。

「どう思うか、どう感じるか」感性の問題と「どう考えるか、どう判断するか」論理・ロジックの問題がご自分の中でかみ合っているか確認してみて下さい。
野放しの感情というのはこわいもので、それは時に現実や事実を飲み込み歪めていく程の力を持っています。それゆえ意図的に感情を強調することによって、論理的思考を失わせ相手をコントロールするような悪しきことも時に行われます。
ヒトラーが「大衆は感情で動く。だから優しくしたり威圧したりすれば、大衆も政権も簡単にモノにできる」というようなことを言ったそうです。私たちは、自分の感情や思いを健全にコントロールしていくために、しっかりとした論理・考え方を身につけていく必要があるのです。

人生には辛いけれど向き合わなければいけないことがあります。苦しいけれどやり遂げるべきことがあります。楽しいけれど止めるべきことがあります。
感情は自分をより深く知る大切な手掛かりになります。しかし感情によって全てを判断することは出来ませんし、感情によって事実や真実を曲げてしまうべきではありません。
柔軟性や好奇心は大切です。でも、新しい物や考え方に触れるたびに振り子のように揺れてしまうのでは、人生を積み上げていくことはできません。ぶれない一貫性をもった考え方の中にこそ本当の意味での柔軟性が生まれるのです。

色々な感情をコントロールする論理を身につけておられるでしょうか。様々な人生の出来ごとの中で、それらを貫いていく確固とした考えを持っておられるでしょうか。
聖書はいつも私たちの感情を受け止めながら、進むべき人生の指針を示してくれるものです。

聖書を大切にする川奈聖書教会です。 http://www.geocities.jp/kawanachurch/

以前に書いたこんなブログ記事も参考になるかもしれません。
http://bokushishitusasayaki.seesaa.net/article/372275003.html
http://bokushishitusasayaki.seesaa.net/article/372892720.html

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2014年12月09日

特効薬を求めないこと

川奈聖書教会の初代牧師 荒井基先生は日本女子大で長年栄養学教授としてご活躍になられ、60歳を過ぎてからその職を離れて川奈で教会を開拓されました。
特に母乳に含まれる免疫機能の研究では日本において先駆的な役割を果たされた方だと伺っています。
その荒井先生がよくおっしゃっておられたのは、「食事はバランス良くが基本です。ちまたで言われる特効薬のような食べ物はありません」、ということでした。

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荒井牧師に長女の祝福を祈って頂いた11年前の写真

「○○を食べると○○に良い!」みたいなことをテレビが取り上げると、もうその日の夕方にスーパーの売り場が品薄になっている。そういう風潮を嘆いておられました。
先生曰く「そうやってブームになった食べ物が注目され続けることがありますか?バランス良く食べ続ける、それが一番大切なことです」、荒井先生のおっしゃることはシンプルですが一貫性があり大事なことをたくさん教えて頂きました。

荒井先生が栄養について教えて下さった言葉は人生にもそのまま当てはまると思います。
しばしばびっくりするような特効薬が求められる時代です。人生が劇的に変わる偉人の言葉とか、心が一瞬で聖くなるような感動の話しとか、雷に打たれるような劇的な発見とか、、、でもそういうことで人生が大きく変わったと言う人はあまりいないと思います。
ネットをボンヤリ眺めながらたまたま手に入った情報で自分が別人になれるような感動を味わって、でもたまたま手に入った物というのはそれ相応のこととしてしか人生には意味を持ちません。

「食事はバランス良く」、これくらいの言葉ならレタスとキャベツの違いもおぼつかない私でも言えそうなことですが、こういうシンプルな言葉を何十年栄養学について研究し続けてこられた先生がおっしゃるからこそ意味があるし、説得力・影響力が生じるのです。

特効薬が求められる時代です。仕事も、勉強も、子育ても、夫婦関係も、健康も、特効薬を直ぐ探し始めてしまいます。私が教会でお受けする相談も、どんどんそのような傾向が強くなっているように思います。
一度お会いしてそこで何か自分が変われそうな劇的な何かをもらえないだろうか、と...。
でもそういう期待に応えようとは思いません。その期待を諦めることから人生の方向転換は始まるのです。
そして劇的な物には必ず反動や弊害があることも忘れてはいけません。細かい説明を省きますが、それは依存症の心理です。
劇的な経験は直ぐに効果を失い、更なる劇的な物を求めたくなり・・・、そうやって劇的な何かに依存することでしか人生を支えられなくなり、人生の目的が「劇的」を得ることにすり替わってしまいます。

ですから、特効薬を求めたくなる方がまず認めなければいけないことは、特効薬では人生は変わらないということ。「バランス良い食事。それを続けること」、という荒井先生の実に単純で地道なメッセージ、でも確かにその通りなのです。
何かの特効薬で、自分の暗部を誤魔化そうとするのではなく、その暗部を認め続け、そこに必要な物を与え続け、自分にとってマイナスになるものを取り除いていく。
そうやって10年、20年、、、バランス良い食生活が生涯に渡って求められるように、バランスの良い心の栄養、人生の食生活を考え続けていく。
本当に必要なものは一時的な特効薬ではありません。生涯に渡って自分に与え続けるべきものを見つけること。そして、それを続けていくこと。まずはそれが出来ない自分を認める所からはじめてみませんか。

「わたしはいのちのパン」とおっしゃったイエス様のことばを教会が語り続け、またそこに集まってくる方々が毎週聴き続けいく理由はこんな所にあるのです。

川奈聖書教会は掛け替えの無いたった一度のあなたの人生を応援しています!
日曜礼拝 午前10時半から12時
火曜礼拝 午後7時から8時 どなたでもお越し下さい。

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2014年10月04日

退屈な人生の原因は?

伊東大田楽を観賞してきました。
今回は一般参加のお子さんたちも居たのでとっても賑やかでした。何の分野でも子どもたちが一生懸命取り組んでいる姿は良いものだなと改めて思いました。
ぜいさん夫妻のお嬢さんがいつも熱心に練習しておられて、最近良く大田楽のステージを見させて頂くのですが、あの単純なメロディとリズムの繰り返しの中に生まれてくる深遠な世界は癖になります。今や大田楽ファンです!

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クラシック音楽は基本的に同じことの繰り返しをしません。同じフレーズであっても二度目であることの必然的な変化というのを必ず表現するのです。
繰り返しといえばラベルのボレロが有名ですが、同じフレーズの中にこそ壮大な変化が表現されていきます。
https://www.youtube.com/watch?v=3KgpEru9lhw(←関係ないですがこのボレロは面白い)
一方大田楽のような音楽は、むしろまったく同じように繰り返される音とリズムの中にこそ美を見るのでしょう。延々と続く同じことの繰り返しの中に不思議と馴染んでいき深まっていくリズム・メロディが実に心地よく退屈しません。
それは恐らく、変わらない音楽の中でその音楽を受けとめている私自身が変化していくからです。同じことを経験している中で、自分自身が変化し、同じ音楽が受けとめる私の変化の中で新しい意味をもつようになる。
西洋音楽と東洋音楽のアプローチの違いのようなことを考えていました。

私たちの人生も同じではないでしょうか。
ともすると「単純な毎日の繰り返し...」と日々の生活をつまらないものと文句を言ってしまうことがあります。
毎日同じ時間にご飯を作って、洗濯機を回して、掃除機をかけて...。毎日同じ時間に起きて、ご飯を食べ、満員電車に揺られ、会社に着き...。
そうやって同じことの繰り返しに満足できなくなった時に、詰まらぬ変化に心を奪われ自分を支えてくれている変わらない大切なものを粗末にして、人生を傷つけてしまいます。

人生を退屈してしまう原因は変わり映えしない日々の生活や周囲の人々にあるのではありません。変わることができない、成長出来ない自分が居て、同じ事柄の中に新しさを見出すことが出来ていないのです。
同じことの繰り返しの中でも自分自身が成長していけば、そこにはいつも新しさがあるはずです。
楽器でもスポーツでも、何をするにも反復練習は大切です。例えば、フルート初心者の家の長女が取り組んでいると同じ基礎練習曲をフルーティストの義妹は今もこなしているそうです。
同じ練習であっても、演奏する本人が成長することでその練習が益々深い意味を持つということでしょう。

今日が、明日が、退屈な変わり映えしない一日であるか、はたまたワクワクするような新しい一日であるか、そこに生きる私たち自身が問われていることを受けとめることができたら、それだけで私たちの人生は前に進み始めるものです。
たった一度の掛け替えの無いあなたの人生が素晴らしいものとなるように、川奈聖書教会はあなたを応援しています!
牧師とお話ししたい方はE-mail kawanachurch@ybb.ne.jp 44-1728 気軽に連絡下さい!

posted by pastoryama at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする