2015年06月17日

それは目的ですか、手段ですか?

先日、久しぶりのことで熱で半日寝込んでしまいました..。
夜中に熱が上がって寝苦しかったので居間で録画していた俳優 渡辺謙さんのドキュメンタリーを観ていました。彼が二度目の白血病に襲われた時の病と闘うモチベーションについて「俳優として何か作品を残すべく命をもらうんだという思いで」と語っていたことが印象的でした。

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三島キリスト教会でチャペルコンサートのご奉仕をさせて頂きました

渡辺謙さんのような大病で無くても、体調を崩すと早く回復することを望むのは当然です。不快な症状が無くなり以前のような普通の生活が送れることを望みます。しかし良く考えれば、健康になると幸せになる訳ではありません。実際、多くの方が健康な体を得ながら不平不満一杯に生きているのです。

健康を回復することは目的ではなく手段です。回復した健康な体でどのように生きていくのか、目的を見据えて課題に向き合うことが大切です。
いつの間にか人生がほころんでしまう要因の一つとして、「目的」と「手段」の混乱があります。
例えば非常に健康に気を使って生活していたとします。食べ物一つ一つこだわり、体を動かし、規則正しく生活をし、それは素晴らしいことです。
しかし、そうやって健康に気をつかうことで人生が充実する訳ではありません。問題は、そうやって得た健康な体でどのように生きていくのか、何のために生きていくのか、目的です。けれども時に、手段が目的にすり替わり、いかに健康に生きるかに夢中になってしまい、健康を得ることで幸せになれるかのように錯覚してしまうことがあります。

子育てにおいても同じです。勉強や習い事など、それらは全て子供が幸せに生きていくための手段です。しかし、気をつけていないと手段であるはずの事柄を達成させることに夢中になってしまい、そこに子供の幸せの保証があるかのように勘違いをしてしまうのです。
結果、手段に依存する生き方を子供にも根付かせてしまうことになります。

健康、財産、能力、資格、こういうものは目的を持った人生においてはある程度有益ですが、目的の無い人生には何の役にも立ちません。しかし、目標や目的が曖昧な人生ほど、しばしば手段に飲み込まれてしまうものなのです。
ですから手段が目的化した生き方になっていないかどうか。手段に夢中になることで空洞化した人生を誤魔化してはいないか確認してみましょう。
しっかり見据えていなければならないのは、私たちが生きること、生かされていることの目的にあるのです。

生きることの目的を教える聖書、学んでみませんか。
日曜礼拝午前10時半から12時 
火曜礼拝午後7時から8時
http://www.geocities.jp/kawanachurch/

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2015年05月06日

本当のシンデレラな生き方?!

今から20年前、私がまだ10代だった頃すでに父親の書棚に「シンデレラ・シンドローム」という名前の本があって手にとって読んだのを覚えています。カウンセリングの世界で昔流行した言葉です。
白馬の王子様が現れて自分の人生を劇的に変えてくれる、そんな願望にとりつかれた主には女性を言い当てる言葉だったと思います。
多分この言葉の影響だと思いますが、何か童話のシンデレラってあまり好きな話しではありませんでした。

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6月11日 三島キリスト教会https://sites.google.com/site/mishimachrist/のチャペルコンサートに出演します。お近くの方ぜひ足をお運びください!

娘たちと妻が実写版のシンデレラの映画を観に行こうというので、家族サービスのつもりで出かけたのですが思いがけず面白くて見入ってしまいました。
非常に良かったのは、シンデレラ・シンドロームのようにではなく...、シンデレラの辿った劇的なストーリが地道な生き方と対立的にではなく、延長線上に描かれていたことです。
「優しさと勇気」というキーワードの中で、義母や義姉たちに酷い扱いを受けても怒りや憎しみに心を奪われることなく、ひたむきに生きるシンデレラ。厳しい現実からの逃避ではなく、厳しい現実に向き合うことの中で開かれていく人生。
魔法使いが現れて...、という不思議な物語がリアルな人生として描かれていること(私の感想)の面白さを感じました。

シンデレラ・シンドロームのように、「誰かが私の人生を幸せにしてくれる」という依存的な発想の中でパートナーを見つけても、そこには大抵「共依存」の問題が生じ上手くいきません。
もちろん相手の問題もあるでしょうが、自分の人生を「誰か・何か」によって変えてもらいたいという発想を持っている自分自身がどこまでもついてくるので、常に「こんなはずではない」という現実への不満と、「今のようではない将来」への期待を捨てることが出来ないのです。

最近はそのようなシンデレラ・シンドロームを逆手に取るようにして、依存的に生きてきた過去・現在のその人の在り方を否定し、その人が依存対象としてきた相手を非難・否定することによって、巧妙に新たな依存対象として自分や組織を刷り込ませコントロールする、そのような手法がしばしば見受けられます。
依存的な人の問題に関わる援助者が、いつの間にか新たな依存対象にすり替わるということは、依存症治療の現場でもう何十年も昔から言われていることですが、やはり今もそのカラクリで巧妙に依存的な方を振り回す人がいます。

映画の話しに戻ります。正確に覚えていませんが、“家族から酷い扱いを受けているのになぜ家を飛び出さないのか”と尋ねられたシンデレラは“「優しさと勇気」を持って私はこの場所で生きる”と力強く応えます。
シンデレラ・シンドロームを抜け出していく秘訣は、「私はこの場所に生きる」という決断と意思・覚悟です。
変えるべきは生きる場所や共に歩くパートナーではありません。そのように勧める人は「本物の王子様は私だよ」とささやいているだけ。結局これまでと同じ生き方をあなたに強いるでしょう。
どこに行っても、誰と生きても、自分はどこまでもついてくる。このことを忘れないで下さい。

ですから今を否定するのではなく、今と向き合うこと。相手を変えることではなく、自分が変わること。自分を苦しめる犯人探しではなく、変えられる自分の問題を認めていくこと。
そうやって、今この場所に生きようとするあたなを応援してくれる人、支えてくれる人があなたの本当の援助者です。そして、そのような地に足のついた、地道な生き方があなた自身を輝かせていくのです。
シンデレラ・シンドロームに囚われないシンデレラを観ながら、そんな地道な人生の素晴らしさを改めて考えました。

川奈聖書教会は、今この場所で生きようとするあなたを応援しています!
http://www.geocities.jp/kawanachurch/

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2014年12月23日

「思うこと」と「考えること」の違い

気持ち・感情が過度に重んじられることの多い時代では無いでしょうか。
気持ちは大切ですが絶対視すべきではありません。「感じるがままに」「思うままに」「ありのままに」という感性偏重主義は危ういものだ思います。

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川奈聖書教会のクリスマスイヴ礼拝 24日(火)夜7時から8時 ぜひお越しください!

例えば病院で「おかげんいかがですか?」とお医者さんに尋ねられた時に、「苦しいです」「痛いです」「辛いです」「楽になりました」など感覚的な患者さんの反応だけを頼りに治療がなされるということは無いのだろうと思います。
患者さんの気持ちや感覚は、その方が抱えている問題・原因・状態を医師が見抜く手掛かりになるでしょう。そうやって、お医者さんは患者さんが抱えている問題の原因を突き止め対処していかれるのです。
同じように、カウンセリングにおいて相談者の気持ちや感覚に終始する対話というのは発展性を持たないように思います。様々な気持ちや感覚の原因となっている事柄を見抜いていくことが援助者の大切な仕事です。

気持ちや思い・感情は大切なものですが、それは絶対ではありません。
「嬉しい、楽しい、喜び、悲しい、怒り」、自分が感じている感情を素直に受け止めることは良いことですが、一方で「なぜこのような感情・感覚を私は(相手は)持っているのか」、感情や思いの源泉に対して論理的であることは大切なことです。

「どう思うか、どう感じるか」感性の問題と「どう考えるか、どう判断するか」論理・ロジックの問題がご自分の中でかみ合っているか確認してみて下さい。
野放しの感情というのはこわいもので、それは時に現実や事実を飲み込み歪めていく程の力を持っています。それゆえ意図的に感情を強調することによって、論理的思考を失わせ相手をコントロールするような悪しきことも時に行われます。
ヒトラーが「大衆は感情で動く。だから優しくしたり威圧したりすれば、大衆も政権も簡単にモノにできる」というようなことを言ったそうです。私たちは、自分の感情や思いを健全にコントロールしていくために、しっかりとした論理・考え方を身につけていく必要があるのです。

人生には辛いけれど向き合わなければいけないことがあります。苦しいけれどやり遂げるべきことがあります。楽しいけれど止めるべきことがあります。
感情は自分をより深く知る大切な手掛かりになります。しかし感情によって全てを判断することは出来ませんし、感情によって事実や真実を曲げてしまうべきではありません。
柔軟性や好奇心は大切です。でも、新しい物や考え方に触れるたびに振り子のように揺れてしまうのでは、人生を積み上げていくことはできません。ぶれない一貫性をもった考え方の中にこそ本当の意味での柔軟性が生まれるのです。

色々な感情をコントロールする論理を身につけておられるでしょうか。様々な人生の出来ごとの中で、それらを貫いていく確固とした考えを持っておられるでしょうか。
聖書はいつも私たちの感情を受け止めながら、進むべき人生の指針を示してくれるものです。

聖書を大切にする川奈聖書教会です。 http://www.geocities.jp/kawanachurch/

以前に書いたこんなブログ記事も参考になるかもしれません。
http://bokushishitusasayaki.seesaa.net/article/372275003.html
http://bokushishitusasayaki.seesaa.net/article/372892720.html

posted by pastoryama at 12:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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