2015年08月20日

子供たちを育むことの希望

友人の原眞人さんの今日のブログ「教育こそが力」http://ameblo.jp/hara-ism/entry-12063363508.html、大いに共感しました。世界・国家レベルの問題から地域の問題に至るまで「時代を変えて行くのは政治家じゃない。若い力だ」と書いておられました。
状況を一変させるようなリーダー・救世主が切望される時代。でもそういう所にあまり望みを感じません。前回のブログ「劇的の罠」に書いた通りです。
「劇的」をアピールする人に一喜一憂するよりも、若い力を育成することにこそ希望があると思っています。劇的に変えてくれる誰かを探し求めるより、次代を担う若者・子供たちのために自分にできることを為していくことの方がずっと望み豊かでは無いでしょうか。

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高校野球の中継を見たのは何年ぶりだろうか。実家の近所にある東海大相模高校が決勝を戦っていることをfacebookで知り途中からテレビ観戦。高校球児の力を尽くした戦いに感激〜(^^)/

子供達の教育には二つの側面があると思います。
指揮者小澤征爾さんが二十歳そこそこでヨーロッパに渡る時に、彼の盟友であった指揮者の故山本直純さんが小澤さんにこんな言葉をかけたそうです。
「音楽のピラミッドがあるとしたら、オレはその底辺を広げる仕事をするから、お前はヨーロッパへ行って頂点を目指せ。征爾が日本に帰って来たらお前のためのオーケストラを日本に用意しておくから」
そしてご存じのように小澤征爾さんは世界の頂点を極める指揮者になり、山本直純さんはテレビ等での積極的な活躍によって日本のお茶の間に音楽文化を広げる貴重なお働きをなさいました。

才能豊かな・可能性に富んだ子供達を伸ばしていく教育と、時代の波にもまれこぼれ落ちそうになっている子供たちをすくい上げ支えていく教育と、両面が必要だと思います。私自身は後者の教育により関心があり、それが自分の使命だと思っています。
どん底を歩むような子供達と関わり支えていく時に、何か目に見える才能や特技は無かったとしても、厳しい状況の中で生き抜き、立ち上がって前に進もうとする子供たちの力に圧倒されるような経験をします。
子供たちの内側からにじみ出るような生きる力に触れる時に、子供達に関われることの特権と喜びを感じます。それは多分、大人との関わりでは体験しえない特別なものです。

家に引きこもっていた子が社会と接点を持つようになる。嘘ばかりついていた子が嘘を手放し、他者を傷つけることを喜びにしていた子が友達に優しい言葉をかけられるようになる。
こういうことは、社会を氷山に例えるなら水面下にあって人の目にはあまり映らないことでしょう。しかし、間近にそういう子供たちの変化に触れるならば、大げさでは無く感動に胸が震えます。
一人の子供の、社会においては水面下であるかもしれない変化・成長に私は次代への確かな希望を感じるのです。

愛してるくれる人、関わり続けてくれる人、応援してくれる人、信じ受け入れてくれる場所があれば時間がかかっても子供たちは必ず変わるものです。
時代を嘆いたり、ヒーローを探したり犯人探しをするよりも、あなたの周りにいる一人の子供さんと関わり応援してみませんか。子供たちを育んでいくことこそが私たちの本物の望みです。

川奈聖書教会は子供達を応援し、子供たちを育む教会です。
教会学校、教会塾いっしょ、教育相談室、子育てともとも、ぜひご利用ください!

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2015年07月21日

「劇的」の罠

私自身がそうなのですが、長い時間軸の中で物事を考えることが苦手な時代だと思います。
一度の機会で劇的に状況が変わることを願う、短絡的な発想に直ぐ囚われてしまいますし、劇的な変化を起こすような言葉に安易に引き寄せられてしまうのです。

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我が家の愛犬チャペル君

例えば選挙。「あなたの一票が国を変える」的なキャッチフレーズで「だから選挙に行きましょう」と勧められるのですが、どうでしょう...。
選挙権を得て18年、「選挙皆勤賞」が自慢の私ですが、自分の一票で政治が変わったと実感したことはありません。当たり前でしょう。そうたやすく政治や国は変わりません。
小さな石を何年、何十年と世代を越えて積み上げながら、ようやく少しずつ変わっていく可能性がある、そういうものではないでしょうか。だからこそ1回1回の選挙の1人1人の1票が大切なのだと思います。

子育ての問題も同じです。家庭・家族の問題に関わっているとしばしば負の連鎖と言えるような状況に遭遇します。
親から受けた悪い影響を排除することは容易ではありません。
“いけない”と思いながら、“止めなければ”と思いながら、しかし中々止められない・変えられない。そういう苦しみを経験しておられる方が多くおられます。
そういう方へのアドバイスとして「ゼロにする必要はない。完全に克服する必要はない。あなたが子供として親から“10”受けた辛い体験があって、それをあなたが子育てする中で“5”に薄めることができたら、それは物凄く大きなことであるし、それがあなたの大切な使命だと思いますよ」、そのように申し上げて応援させて頂きます。
そして、今度はその方のお子さんが5を3にしてくれるかもしれない。その次の世代では...、そうやって少しずつ少しずつ世代を越えて克服していく他無いのが家庭における負の連鎖の問題だと感じます。
そういう難しい問題であるからこそ、1でも0.1でも前に進むことは尊いことであるし、僅かな前進を軽んじてはいけないのです。

大きな問題、難しい問題、複雑な問題は一度で劇的には変わりません。劇的に変わったと錯覚することはあるし、意図的に錯覚させる人はいます。しかし、多くの場合それは振り子が反対方向に振れただけで、状況は何も変わっていないものです。錯覚に過ぎないのです。
逆に劇的な変化を望んだりそそのかされたりすることで、小さな地道な一歩を無意味・無駄にしてしまうことがあります。劇的な可能性の前で、私たちは小さな一歩の持つ意味や価値を見失ってしまいやすいのです。

神の御手の中にある世界の長い歴史の中で、私たち一人一人の人生はホンの一瞬、瞬き程のものです。そういう私たちの人生を上記のような意味において劇的・決定的に考えすぎない方が良いのかもしれません。
劇的・決定的な役割を担おうとすることで、本当の私たちの使命、石一つ積み上げることの責任を果たすことが出来なくなってしまうことがあるのではないでしょうか。

あなたがこれまでの人生において積み上げた一つ一つの小石は絶対無駄ではありません。大きな成果は見えないかもしれない。こんなことでは何も変わらないと思えるかもしれない。でもそれを地道に積み上げていく以外に解決に近づく方法はないのです。
だから、劇的では無い。小石を一個一個拾い集めるようなあなたの地道な歩みを応援する牧師。大切にする教会でありたいと願っています。

気軽に連絡ください。たった一度のあなたの人生を応援している牧師山口です! 
kawanachurch@ybb.ne.jp  44-1728

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2015年06月17日

それは目的ですか、手段ですか?

先日、久しぶりのことで熱で半日寝込んでしまいました..。
夜中に熱が上がって寝苦しかったので居間で録画していた俳優 渡辺謙さんのドキュメンタリーを観ていました。彼が二度目の白血病に襲われた時の病と闘うモチベーションについて「俳優として何か作品を残すべく命をもらうんだという思いで」と語っていたことが印象的でした。

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三島キリスト教会でチャペルコンサートのご奉仕をさせて頂きました

渡辺謙さんのような大病で無くても、体調を崩すと早く回復することを望むのは当然です。不快な症状が無くなり以前のような普通の生活が送れることを望みます。しかし良く考えれば、健康になると幸せになる訳ではありません。実際、多くの方が健康な体を得ながら不平不満一杯に生きているのです。

健康を回復することは目的ではなく手段です。回復した健康な体でどのように生きていくのか、目的を見据えて課題に向き合うことが大切です。
いつの間にか人生がほころんでしまう要因の一つとして、「目的」と「手段」の混乱があります。
例えば非常に健康に気を使って生活していたとします。食べ物一つ一つこだわり、体を動かし、規則正しく生活をし、それは素晴らしいことです。
しかし、そうやって健康に気をつかうことで人生が充実する訳ではありません。問題は、そうやって得た健康な体でどのように生きていくのか、何のために生きていくのか、目的です。けれども時に、手段が目的にすり替わり、いかに健康に生きるかに夢中になってしまい、健康を得ることで幸せになれるかのように錯覚してしまうことがあります。

子育てにおいても同じです。勉強や習い事など、それらは全て子供が幸せに生きていくための手段です。しかし、気をつけていないと手段であるはずの事柄を達成させることに夢中になってしまい、そこに子供の幸せの保証があるかのように勘違いをしてしまうのです。
結果、手段に依存する生き方を子供にも根付かせてしまうことになります。

健康、財産、能力、資格、こういうものは目的を持った人生においてはある程度有益ですが、目的の無い人生には何の役にも立ちません。しかし、目標や目的が曖昧な人生ほど、しばしば手段に飲み込まれてしまうものなのです。
ですから手段が目的化した生き方になっていないかどうか。手段に夢中になることで空洞化した人生を誤魔化してはいないか確認してみましょう。
しっかり見据えていなければならないのは、私たちが生きること、生かされていることの目的にあるのです。

生きることの目的を教える聖書、学んでみませんか。
日曜礼拝午前10時半から12時 
火曜礼拝午後7時から8時
http://www.geocities.jp/kawanachurch/

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