2015年07月21日

「劇的」の罠

私自身がそうなのですが、長い時間軸の中で物事を考えることが苦手な時代だと思います。
一度の機会で劇的に状況が変わることを願う、短絡的な発想に直ぐ囚われてしまいますし、劇的な変化を起こすような言葉に安易に引き寄せられてしまうのです。

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我が家の愛犬チャペル君

例えば選挙。「あなたの一票が国を変える」的なキャッチフレーズで「だから選挙に行きましょう」と勧められるのですが、どうでしょう...。
選挙権を得て18年、「選挙皆勤賞」が自慢の私ですが、自分の一票で政治が変わったと実感したことはありません。当たり前でしょう。そうたやすく政治や国は変わりません。
小さな石を何年、何十年と世代を越えて積み上げながら、ようやく少しずつ変わっていく可能性がある、そういうものではないでしょうか。だからこそ1回1回の選挙の1人1人の1票が大切なのだと思います。

子育ての問題も同じです。家庭・家族の問題に関わっているとしばしば負の連鎖と言えるような状況に遭遇します。
親から受けた悪い影響を排除することは容易ではありません。
“いけない”と思いながら、“止めなければ”と思いながら、しかし中々止められない・変えられない。そういう苦しみを経験しておられる方が多くおられます。
そういう方へのアドバイスとして「ゼロにする必要はない。完全に克服する必要はない。あなたが子供として親から“10”受けた辛い体験があって、それをあなたが子育てする中で“5”に薄めることができたら、それは物凄く大きなことであるし、それがあなたの大切な使命だと思いますよ」、そのように申し上げて応援させて頂きます。
そして、今度はその方のお子さんが5を3にしてくれるかもしれない。その次の世代では...、そうやって少しずつ少しずつ世代を越えて克服していく他無いのが家庭における負の連鎖の問題だと感じます。
そういう難しい問題であるからこそ、1でも0.1でも前に進むことは尊いことであるし、僅かな前進を軽んじてはいけないのです。

大きな問題、難しい問題、複雑な問題は一度で劇的には変わりません。劇的に変わったと錯覚することはあるし、意図的に錯覚させる人はいます。しかし、多くの場合それは振り子が反対方向に振れただけで、状況は何も変わっていないものです。錯覚に過ぎないのです。
逆に劇的な変化を望んだりそそのかされたりすることで、小さな地道な一歩を無意味・無駄にしてしまうことがあります。劇的な可能性の前で、私たちは小さな一歩の持つ意味や価値を見失ってしまいやすいのです。

神の御手の中にある世界の長い歴史の中で、私たち一人一人の人生はホンの一瞬、瞬き程のものです。そういう私たちの人生を上記のような意味において劇的・決定的に考えすぎない方が良いのかもしれません。
劇的・決定的な役割を担おうとすることで、本当の私たちの使命、石一つ積み上げることの責任を果たすことが出来なくなってしまうことがあるのではないでしょうか。

あなたがこれまでの人生において積み上げた一つ一つの小石は絶対無駄ではありません。大きな成果は見えないかもしれない。こんなことでは何も変わらないと思えるかもしれない。でもそれを地道に積み上げていく以外に解決に近づく方法はないのです。
だから、劇的では無い。小石を一個一個拾い集めるようなあなたの地道な歩みを応援する牧師。大切にする教会でありたいと願っています。

気軽に連絡ください。たった一度のあなたの人生を応援している牧師山口です! 
kawanachurch@ybb.ne.jp  44-1728

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2015年06月17日

それは目的ですか、手段ですか?

先日、久しぶりのことで熱で半日寝込んでしまいました..。
夜中に熱が上がって寝苦しかったので居間で録画していた俳優 渡辺謙さんのドキュメンタリーを観ていました。彼が二度目の白血病に襲われた時の病と闘うモチベーションについて「俳優として何か作品を残すべく命をもらうんだという思いで」と語っていたことが印象的でした。

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三島キリスト教会でチャペルコンサートのご奉仕をさせて頂きました

渡辺謙さんのような大病で無くても、体調を崩すと早く回復することを望むのは当然です。不快な症状が無くなり以前のような普通の生活が送れることを望みます。しかし良く考えれば、健康になると幸せになる訳ではありません。実際、多くの方が健康な体を得ながら不平不満一杯に生きているのです。

健康を回復することは目的ではなく手段です。回復した健康な体でどのように生きていくのか、目的を見据えて課題に向き合うことが大切です。
いつの間にか人生がほころんでしまう要因の一つとして、「目的」と「手段」の混乱があります。
例えば非常に健康に気を使って生活していたとします。食べ物一つ一つこだわり、体を動かし、規則正しく生活をし、それは素晴らしいことです。
しかし、そうやって健康に気をつかうことで人生が充実する訳ではありません。問題は、そうやって得た健康な体でどのように生きていくのか、何のために生きていくのか、目的です。けれども時に、手段が目的にすり替わり、いかに健康に生きるかに夢中になってしまい、健康を得ることで幸せになれるかのように錯覚してしまうことがあります。

子育てにおいても同じです。勉強や習い事など、それらは全て子供が幸せに生きていくための手段です。しかし、気をつけていないと手段であるはずの事柄を達成させることに夢中になってしまい、そこに子供の幸せの保証があるかのように勘違いをしてしまうのです。
結果、手段に依存する生き方を子供にも根付かせてしまうことになります。

健康、財産、能力、資格、こういうものは目的を持った人生においてはある程度有益ですが、目的の無い人生には何の役にも立ちません。しかし、目標や目的が曖昧な人生ほど、しばしば手段に飲み込まれてしまうものなのです。
ですから手段が目的化した生き方になっていないかどうか。手段に夢中になることで空洞化した人生を誤魔化してはいないか確認してみましょう。
しっかり見据えていなければならないのは、私たちが生きること、生かされていることの目的にあるのです。

生きることの目的を教える聖書、学んでみませんか。
日曜礼拝午前10時半から12時 
火曜礼拝午後7時から8時
http://www.geocities.jp/kawanachurch/

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2015年05月06日

本当のシンデレラな生き方?!

今から20年前、私がまだ10代だった頃すでに父親の書棚に「シンデレラ・シンドローム」という名前の本があって手にとって読んだのを覚えています。カウンセリングの世界で昔流行した言葉です。
白馬の王子様が現れて自分の人生を劇的に変えてくれる、そんな願望にとりつかれた主には女性を言い当てる言葉だったと思います。
多分この言葉の影響だと思いますが、何か童話のシンデレラってあまり好きな話しではありませんでした。

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6月11日 三島キリスト教会https://sites.google.com/site/mishimachrist/のチャペルコンサートに出演します。お近くの方ぜひ足をお運びください!

娘たちと妻が実写版のシンデレラの映画を観に行こうというので、家族サービスのつもりで出かけたのですが思いがけず面白くて見入ってしまいました。
非常に良かったのは、シンデレラ・シンドロームのようにではなく...、シンデレラの辿った劇的なストーリが地道な生き方と対立的にではなく、延長線上に描かれていたことです。
「優しさと勇気」というキーワードの中で、義母や義姉たちに酷い扱いを受けても怒りや憎しみに心を奪われることなく、ひたむきに生きるシンデレラ。厳しい現実からの逃避ではなく、厳しい現実に向き合うことの中で開かれていく人生。
魔法使いが現れて...、という不思議な物語がリアルな人生として描かれていること(私の感想)の面白さを感じました。

シンデレラ・シンドロームのように、「誰かが私の人生を幸せにしてくれる」という依存的な発想の中でパートナーを見つけても、そこには大抵「共依存」の問題が生じ上手くいきません。
もちろん相手の問題もあるでしょうが、自分の人生を「誰か・何か」によって変えてもらいたいという発想を持っている自分自身がどこまでもついてくるので、常に「こんなはずではない」という現実への不満と、「今のようではない将来」への期待を捨てることが出来ないのです。

最近はそのようなシンデレラ・シンドロームを逆手に取るようにして、依存的に生きてきた過去・現在のその人の在り方を否定し、その人が依存対象としてきた相手を非難・否定することによって、巧妙に新たな依存対象として自分や組織を刷り込ませコントロールする、そのような手法がしばしば見受けられます。
依存的な人の問題に関わる援助者が、いつの間にか新たな依存対象にすり替わるということは、依存症治療の現場でもう何十年も昔から言われていることですが、やはり今もそのカラクリで巧妙に依存的な方を振り回す人がいます。

映画の話しに戻ります。正確に覚えていませんが、“家族から酷い扱いを受けているのになぜ家を飛び出さないのか”と尋ねられたシンデレラは“「優しさと勇気」を持って私はこの場所で生きる”と力強く応えます。
シンデレラ・シンドロームを抜け出していく秘訣は、「私はこの場所に生きる」という決断と意思・覚悟です。
変えるべきは生きる場所や共に歩くパートナーではありません。そのように勧める人は「本物の王子様は私だよ」とささやいているだけ。結局これまでと同じ生き方をあなたに強いるでしょう。
どこに行っても、誰と生きても、自分はどこまでもついてくる。このことを忘れないで下さい。

ですから今を否定するのではなく、今と向き合うこと。相手を変えることではなく、自分が変わること。自分を苦しめる犯人探しではなく、変えられる自分の問題を認めていくこと。
そうやって、今この場所に生きようとするあたなを応援してくれる人、支えてくれる人があなたの本当の援助者です。そして、そのような地に足のついた、地道な生き方があなた自身を輝かせていくのです。
シンデレラ・シンドロームに囚われないシンデレラを観ながら、そんな地道な人生の素晴らしさを改めて考えました。

川奈聖書教会は、今この場所で生きようとするあなたを応援しています!
http://www.geocities.jp/kawanachurch/

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