2013年09月21日

信じることは決断すること

怪談話で有名な「番町皿屋敷」は実は非常に深いお話しですね。最近考えさせられています<`〜´>
ご存じでしょうがまずはあらすじ。
旗本の青山播磨が召使であったお菊に恋をします。お菊は身分不相応な自分への播磨の愛に心を打たれ喜びますが、ある時播磨に身分の高いお嬢様との縁談の話しが来て不安になります。
実際には播磨はあっさりその縁談を断ってしまうのですが、お菊の心に不信が芽生え、播磨の愛を確かめたいと考えるようになるのです。 
そこでお菊は青山家の家宝のお皿をうっかり割ったようにみせかけ、しかし実はわざと割って播磨を試すのです。「もし皿を割ったことを赦してくれるなら、私への愛は本物」、と...。
青山家は大騒動になりますが、しかし播磨はお菊をあっさり赦します。お菊は播磨の愛に安心するのですが、一件落着といきません。
後になって目撃者の証言からお菊がわざと皿を割ったことがばれてしまうのです。問い詰められたお菊は「殿様の愛が不安になって、殿様の心を試してしまいました」と答えます。この言葉に播磨は怒ってお菊は切り捨てられてしまうというお話です。

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今日は怪談話を皆さんと味わいたいのではなく^^;、、、「信頼」について考えてみたいと思います。
「信じる」ためにしるしを求めてはいけないというお話しです。
例えばあなたが恋人をどうしても信じることが出来ず「あなたの愛のしるしを見せて」と要求したとします。それで相手が5万円のネックレスをプレゼントしてくれました。それであなたは安心し相手を信じられるでしょうか。
一時的には安心するかもしれません。しかし、またちょっとしたことから不安になり新しいしるしが見たくなります。「もっと確かなしるしを見せて」、それで今度は10万円の指輪を相手はくれました。でもそんなことしても、またその内何か起これば不安になって、不安解消のためにしるしを求めるでしょう。

お菊はしるしを求めました。では、お皿を割った自分を許してくれた播磨を見てお菊は完全に信じられるようになったのでしょうか。いえ、きっとその内また不安になったと思います。なぜなら、お菊にはもう十分なしるしがあったからです。
播磨が身分の高い女性との縁談を断って自分との愛を選んでくれた、ここがお菊の信じ所だったのです。そこで信じられなければ、幾つしるしを得てももう信じることはできません。

プレゼントに限らず、○○をして、○○を犠牲にして、そうやって信じる為のしるしを相手に要求されそれがエスカレートしていくということは実は案外良くある話しです。

相手の愛を試したり、愛を確かめる為のしるしを求めてはいけません。
もしそのような関係に陥っている方がいたら、厳しいようですがそれは愛の関係ではなく依存関係だと知って下さい。その先に安心はありません。
信じる、信頼するという行為は決断なんです。相手を知る為の材料はもうこれまでの関係性の中で十分にあるはずです。それをあなたが今どう判断するのか、決断が求められているのであって、もう少し判断材料が必要なのではありません。
今、あなたがその人を信じるなら信頼が始まるでしょう。今、信じることが出来なければこの先も信じることはできないでしょう。あなたにそのことを直視して欲しいと思っています。

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2013年09月14日

その人は本当に不要な人?

教育学の先生から以前このような話しを聞いたことがあります。
10人のグループで勉強していたとして大抵その中で一人は足手まといと思えるような人が出てくる。それで、その一人を切り捨てて9人になると良いグループが出来上がるかと言えばそうではない。不思議なことに9人の中にまた一人、落ちこぼれと思えるような人が生まれてくる。その人を切り捨てるとまた一人、そのことの繰り返し。
それゆえグループの力を最大限引き出そうとするならば、足手まといと思える一人が脱落しないように適切にフォローし10人のグループを守っていくことである、ということでした。非常に興味深い話しです。

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私たちは「有益な人、不要な人」を見抜く目を持っていると直ぐ考えますがそれは傲慢です。
「足を引っ張っている」と思える人が実は他の9人が脱落しないための支えとしての役割を果たしていたように、私たちは知らない場所・気がつかない所で色々な人に支えられて生きているものです。
そして「あの人さえいなければ」と感じる人を切り捨てた瞬間、次に集団の中でお荷物とされるのは自分であるかもしれません。その時に気付くのは、自分が実はあの人に支えられていたのだということです。

集団は常に微妙なバランスの上に成り立っているものです。
ある局面で非常に力を発揮する人が別の状況では全体の足を引っ張ることがありますし、普段目立たない人がある局面において重要な役割を果たしてくれることがあります。
人には長所・短所が必ずありますからそれは当然のことです。そういう様々な特徴を持った人たちが集まって、一つの集団が形作られ、支えているのです。

けれども、私たちはどうしてもマイナスが現れる局面において批判的になり「この人が居なければ」などと考えます。誰かを省くことで理想的な集団を形作ろうとするのです。
しかし自分が属するその集団は「いらない」と思えるその人を含んで成立しているのであって、その人を失ったら自分が守りたいと思っている集団そのものが失われるということを忘れてはいけません。

「この人のここがダメ、あの人のあそこがダメ」、そんなことばっかり言っているのは玉ねぎの皮むきみたいなことであって何も残りませんし、やがて自分自身も玉ねぎの皮の一部として捨てられてしまうでしょう。
ダメと思えるその人を生かすことを考えましょう。そうやって人を生かそうとすることで、自分自身が生かされるのです。

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2013年07月20日

人を変える方法教えます

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“あの人”の欠点を直す方法教えます。
基本的に人間関係の鉄則は「人は変えられない。でも自分は変えられる」です。
が、人を変える方法あります\(◎o◎)/

それは相手の長所を発見し、相手の長所を大好きになり、相手にその長所が素晴らしいと伝え続けること。たったこれだけです。

人の欠点・悪い場所を頭ごなしに注意しても効果はゼロです。いや、ゼロではすみません。マイナスです。
なぜなら人の欠点・弱点というのは、しばしば潜在的に自分自身が嫌っている自分の姿を隠そうとして生まれてくるものです。
自分さえも受け入れられない自分の一面を「あなたの○○が悪い」などと頭ごなしに言われたらどうでしょう。その人は益々必死になってその所を隠そう・守ろうといよいよ頑なになるだけです。

そんな時、相手の長所を見つけて下さい。お世辞とか、適当な誉め言葉ではダメです。
本気になって相手の長所を見つけ、その長所をあなたが心から喜び、「あなたのそういう所が素晴らしい、大好きだ」と伝え続けてみて下さい。すると何が起こるでしょうか?

不思議なことに、こちらが何も言ってないのにその人は自分の欠点・弱点を素直に言葉にして表現するようになります。そして自分のマイナス面と向き合うようになり、ボチボチ変化が表れるようになってきます。
なぜでしょうか??自分の良い面が評価され、自分も自分を喜べるようになるので、今まで受け入れられずに隠していた欠点と向き合う余裕が生まれてくるのです。人が変わる為に必要なのはこの余裕なのです。
自分の悪い所なんか実は本人は良く分かっています。分かっているけれど、受け止める余裕が無いので隠す他無くなってしまうのです。隠さなくても良いように、認めても大丈夫なように、その人の良い所を名一杯喜んで下さい!

相手の長所を見つけ、本気で好きになること。これが人を変える必殺の方法です!
「変わって欲しい〜」と思う人がいたら、すぐさま実行(*^^)v
上手くいかなかったら教会に相談にいらして下さい。責任もってアドバイスします。。。

川奈聖書教会では牧師山口があなたの相談お受けします!(^^)! 家庭・家族のこと、子育て、人間関係、心の問題。もちろん無料、秘密は厳守します。
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