2014年10月18日

友達ってなんだろう?

もう秋も更けてきた頃に夏の話しで恐縮ですが、今年の夏は色々な方との出会い・再会の機会があって、とっても嬉しかったです。
FBで知り合ったおじさま方とのリアルでは初めての出会い。バーチャルな世界での付き合いをリアルに繋げるおじさま方の姿勢に感激しました。潮田さん、清水さん、ありがとうございました!
父親が牧師をしている教会の教会学校に来ていた女の子が立派な看護師さんになって10年ぶりくらいで訪ねてきてくれたり。
そしてそして、何といっても神学校で一緒に学び、一緒に遊んだ大切な韓国の友人ファミリーがわざわざ伊東まで会いに来てくれて、この再会は泣けました...。
9月に大和郡山に出かけた時にも、忙しい中関西にいる神学校のクラスメートファミリーたちが会いに来てくれて、とても嬉しかったです。
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私はどちらかと言うと友達付合いが悪い人間と見なされるタイプでして...。友達を誰よりも大切に思っている“つもり”なのですが、そう受けとめられないことも割と多かったかもしれません。
原因ははっきりしていて、ベタベタするのが嫌いなのです。
仲間内でチョコチョコ集まるとか、常に一緒に行動するとか、そういうのが嫌いでむしろ自分と違う人や、自分が足場を置く場所とはちょっと違う所に入っていくとか、そういうことを好む妙な性格をしているようです。

この夏、韓国の友人と神学校卒業以来12年ぶりに再会し、他のクラスメートとも数年ぶり〜10年ぶりくらいの再会だったのですが、その再会の時間を通して彼らが私にとって掛け替えの無い友人たちであることを改めて思い感謝しました。
彼らの中に10年経っても全然変わらない場所がちゃんとあって、でもその場所を軸にしながら着実に成長していて、当然それには沢山の苦労があっただろうことが想像できて...、そういう友が居てくれることが私にはホントにありがたいことですし、彼らに限らず素晴らしい友人たちに支えられている自分であることを実感しました。

神様は一人一人に異なった使命を与え、生きる場所を与え、向き合うべき課題を与えて下さいます。人生はそういう面で非常に孤独なものだと思います。
それゆえともすると、私たちは自分が向き合うべき孤独を一緒に受けとめてくれる、一緒に手を繋いで生きてくれる存在を求めてしまい、それを受け入れてくれる人を「友達」と誤解してしまうのではないでしょうか。
けれども本当の友達とは、それぞれが向き合うべき課題に、向き合うべき場所で苦闘しながら、その使命に生きている人。お互いにそのことを信じ合える関係性なのではないかと思うのです。

人間はみんな弱いです。一緒に居てもらうことが必要な時、話しを聴いてもらい、慰めてもらい、励ましてもらうことが必要な時が誰にでもあります。もちろん私もそうです。
でもそれは、自分が神様から与えられている場所にまた出ていくために与えられる一時の休息です。
その慰めの場所にずっと留まっていたい、いつまでも一緒にいたい、一人は嫌だ、そういう関係性は本当の意味での友情ではありません。

あなたの経験している困難は大きいものだと思います。あなたにしか分からない辛さや苦しさ、恐れ寂しさがあるでしょう。でもそこにこそ、あなたが生かされている特別な意味があるのです。
大きい小さいなどありません。その場所で懸命に生きているあなたの人生は掛け替えの無い、尊い意味を持った人生です。
そして、同じように他の誰にも分からない困難を背負いながら生きている人があなたの周りにいるはずです。そのことをお互いに信じ合える関係性は、私たちが自分の人生を生きる上で大きな力になるのです。

一生懸命生きているあなたを応援しています。そして私も、自分の生きるべき場所で神様から頂いている使命にこれからも全力で生きていこうと思います。
一生懸命なあなたを、私は大切な友だちだと思っています!


posted by pastoryama at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 人間関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月19日

一方通行から双方向の関係性に

サッカーのワールドカップ、盛り上がっていますね。
日本の初戦は残念な結果でしたが、選手の皆さんには次の試合に向けて切り替えて頑張って欲しいです!
最近しばしば思うのですが、サッカーに限らずスポーツで自分の応援していたチームが負けた時の選手に対する悪口雑言は酷いなぁと...、うんざりです。
調子の悪い選手、ミスをした選手に対するファンの怒り。それだけ熱心に応援しているということかもしれませんが、人格を否定するような言葉には違和感を覚えます。
テレビの向こうの別世界の存在だから...。庶民が一生かかっても稼げない額の給料もらっているんだから...。色々理由はあるでしょう。プロですから批判にさらされることも当然でしょう。しかし、スポーツ選手も一人の人間。人格を否定するような言葉を浴びせるべきではありません。

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私の家の本棚もただいまワールドカップ仕様です(^_-)-☆

バーチャルな時代の弊害でしょうか。他者に対する想像力の欠如が、年齢を問わず顕著のように思います。
テレビの向こうの存在に留まらず身近な存在。家族に対してでさえ、人格的な存在として認識することが出来なくなっています。
相手を利用していかに自分を満足させるかという発想ばかり。伴侶も子どもも、自分を満たすための道具に過ぎず、そこでかえって手間がかかったり相手のために犠牲が求められる状況に陥ると、相手を足手まとい・お荷物としか感じなくなります。
性の商品化という問題も同種のことです。人格的な関わりを失って、異性を道具としか見ることが出来ない思考の中で、相手を使って自分を満足させることだけを考えてしまう。
そういう寂しい人間関係の中では心の充足などあり得ないことです。

私の友人のゼイさん(原眞人税理士)が、一年前にシェアというキーワードを掲げてスペース伊豆夢というコミュニティーをスタートしました。
昨日のブログにはこのように分かりやすくコンセプトがまとめられていました。http://ameblo.jp/hara-ism/entry-11876662190.html
「地元、伊東市の経営者が自分の持っているスキルや情報をシェアし合って共有し、お互いの経営に役立て、この町の経済の活性化の一助とする」、まだまだ「勉強会」と誤解されることが多いとのことでしたが、友人ゼイさんのこのような高い志、そしてそのコンセプトを理解して集まっておられるメンバーの皆さんを心から尊敬し応援します!

私たちの生活は「代金を払うから、それ相応の物を出せ」というパターンにどっぷりはまっているのではないでしょうか。同じように人間関係においても自分を満足させてくれる相手を求めて、自分にとって役に立つ、利用できる存在を一方的に求めるのです。それを人間関係と誤解しています。
結局、あらゆる事柄・存在が「物」としてしか見られません。

けれども本当の関係性とは、相手を知り、相手の特徴・思い・考え・家族・職業、すなわち相手の人生全体に興味を持ち、また逆に自分に関心を持ち自分を知ってもらう。そのようにお互いの個性・人格を知り合い、尊重し合う繋がりに始まるものです。当然一朝一夕に手に入るものではありません。
「人格的な関係性」と「物としての関係性」の違いは、相手を尊重しようとする思いがあるか、相手を使って自分を満足させることだけを考えるか。つまり、一方通行と双方向の違いです。そして、私たちの人間関係はしばしば一方通行になってしまいます。
相手に知られることだけ・満たされることだけを求める人と、相手を知ることだけ・相手を満たすことだけを求める人が繋がり合う一方通行の関係性。これは共依存です。
ゼイさんの掲げる「シェア」のコンセプトは、正にこの場所への挑戦。双方向、つまり人格的な関係性を目指したものなのなのだと私は思います。
自分のニーズだけ、相手のニーズだけが満たされるのではない、お互いを尊重し合う本当の関係性の中で相手を喜び、自分も喜ばれる。

イエス様が残して下さった大切な教えは「互いに愛し合いなさい」です。自分を愛することと、他者を愛することが調和する、そういう繋がりを教えて下さいました。
一方的な満足を求める生き方はやめましょう。そうやって他者を道具のようにして損か得か、利用することばかり考えていると、あなた自身も誰かの道具にされてしまいます。そして、そんな生き方の中に充足なんて決して生まれません。

与え合う双方向の関係性、、、ずっと昔物々交換によって人々の生活が成り立っていた時代。物々交換は、自分の必要を得る喜びだけではなく、相手が必要としている物を提供できる自分を喜び、そうやって物を得るだけでは無い。お互いの存在を喜び合える豊かさがあったのではないかと想像します。
私たちが本当に求めているのはより多くの「物」ではなく、人と人とが繋がり合う本物の関係性です。物もその助けになるかもしれません。でも物が私たちを満たしてくれることは決して無いのです。
まずはあなたの周囲に居る人の人格を認め、双方向の関係性の構築にチャレンジしてみませんか。

あなたの掛け替えのない人生を応援している川奈聖書教会 山口でした(^^♪
http://www.geocities.jp/kawanachurch/


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2014年03月25日

強い言葉の裏。冷静な言葉の裏。

何かご相談を受けたり、何がしかの問題に関わらせて頂く時に、可能性が3%しかない、5%しかない、こういう事柄に関わって一発逆転の援助が出来るということはまずありません。少なくとも私などには不可能です。
でもそういう決定的な状況というのは実はそう多くないのかもしれません。

時には状況が好転するありがたいケースに立ち会わせて頂く訳ですが、そういうことは元々可能性が70%、80%最初からあったというのが真相です。
ただ、問題の渦中にあると中々そうは思えません。もう駄目だ、絶望的だ。そういう受け止めをしてしまうのです。
でも客観的に状況を観察すると「もう可能性は5%しかない」と思えた所に、実はまだまだ70%の可能性を見出せるということがあるのです。

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「ようき介護タクシー」さん、当教会でもいつも大変お世話になっています。心を込めたサービスを提供して下さるので大切な信徒さんを安心してお任せ出来ます!http://www.youki-kaigotaxi81.jp/

夫婦の問題でも、親子の問題でもそうなのですが、相手が非常に強い姿勢や態度で何がしかを主張している時というのは渦中にあると「これはもうダメだ。どうしようもない」と感じるのですが、客観的にはむしろ改善・逆転の余地が大いにあると見ることができます。
例えば、お子さんが反抗期に親に向かって非常に強烈な態度や言動でぶつかってきたとします。
親はびっくりしますし、これから先どうなってしまうかと不安を覚えるでしょう。
でも少し冷静になって考えてみましょう。なぜそんなに強い態度や言葉をお子さんは発するのでしょうか。それは不安定だからです。自信がないからです。
親の言う言葉を聴いてしまったら、落ち着いて話しあってしまったら、別の感情・思いが出て来て今の自分の感情を貫けなくなってしまう。そういう自己の弱さ、不安定さを隠すために強烈な主張をしないではおられないのです。

これは子どもに限りません。観察をしてみると分かります。
強く自己主張をなさる方ほど、考えがコロコロ変わりやすいものです。
「あれっ、この前散々こう言ってたけど、言っていることが変わったな」そういうことが必ず起こります。
強い自己主張を前にすると、不安になってこちらもツイツイやり合いたくなるのですがそれは間違いです。
理不尽と思える強い主張を前にした時ほど、冷静にこちらの意志をソフトに伝えておけばそれで良いのです。その時には一刀両断されたとしても、時間が経つと案外こちらが願った良い方向に動きだすものです。

強い自己主張に接した時に、その言葉や態度の中に相手の不安を見抜くことが出来るとずっと冷静な対応が出来るでしょう。
子どもが強くぶつかってきた時、その怒りの背後には必ず親への愛情が隠れています。強く親を糾弾しないと、親への愛情に飲み込まれて言うべきことが言えなくなることを直感的に子どもは知っているのです。
子どもに嫌われるとやっぱり親も傷つきますよね。でも、そういうお子さんほどそうしていないと親離れできない、直ぐに溢れだして抱きつきたくなってしまう親への愛情があるものです。だから、あまり心配し過ぎないで下さいね。

一方、本当に難しいのは相手が余裕を持っている時です。強く自己主張する訳ではない。こちらの話しに耳を傾け、柔軟に話しを聞き入れながら落ち着いてやり取りなさる方というのは実は最強です。
こちらの意見を聞き入れてもらえた気になりますが、結果的には大かた相手の主張が通っている、ということが多いように思います。

言動・行動を額面通りに受け止めても上手くはいかないばかりか、益々問題は深刻になってしまいます。
7割・8割の可能性で上手くいく問題というのは、そのままにしておくのが一番良いのです。失敗の可能性、2割・3割を恐れて余計な対応をすることが、逆に相手を刺激して上手くいかない可能性を大きくしてしまいます。
逆に、相手がおとなしいと思って放っておくと取り返しがつかなくる問題もあります。相手が落ちついていることが、逆に問題の深刻さを物語っていることもあるのです。こういう時はしっかりと手を打たなくてはいけません。
考えなくても気になること、気になる人というのは、案外あまり深刻に考える必要が無いのかもしれません。考えすぎないことが問題の解決に直結していることが多いでしょう。
本当に難しいのはその逆のケースです...。

こんな逆転の発想でもう一度ご自分の家庭・人間関係を見つめ直してみると、何か見えてくるものがあるかもしれませんね。
川奈聖書教会はあなたの人生を応援しています。
ご相談のある方は気軽に教会にご連絡下さい。
電話44-1728 kawanachurch@ybb.ne.jp
そしてぜひ礼拝に足を運んでみて下さい(^^)/
日曜礼拝 AM10:30-12:00 火曜礼拝 PM7:00-8:00

posted by pastoryama at 01:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 人間関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする