2014年03月28日

親子ゲンカのNGワード

お子さんが大きくなってくると段々お子さんと本気でケンカしてしまうようなことがあるかもしれません。
あまり頻繁なのは不味いですが、親子喧嘩自体はお子さんの成長過程で避けられないことです。
ただ、親子喧嘩のNGワードはいくつかあります。NGワードの代表選手の一つは「誰のおかげでご飯が食べられると思っているのか!」です。この言葉、止めましょう...。

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おかげさまで14回目の結婚記念日を迎えることが出来ました。夫をさせてくれている妻に、父親をさせてくれている子どもたちに、そして誰よりも神様に感謝を忘れずにいたいと思います。そして支え祈って下さる皆様に感謝


ケンカにはケンカのルールがあります。素手の相手に刃物を使うのはルール違反ですよね。
子どもの言葉にカチンとくることがあるでしょう。親だからと言っていつも平静を装う必要はありません。親にだって言われたら嫌なこと、悲しいこと、聞き流せないことがありますから、そのことは表現して良いと思います。
ただケンカするなら、正々堂々ケンカして下さい。
親が子どもに“誰のおかげでご飯が食べられるのか”という言葉を使うのは、素手の相手にナイフを突き付けるのと同じです。これではケンカになりません。
子どもには返す言葉がありませんので、そう言われたら従うほかありません。
けれども、このような言葉で子どもを押さえつけることをしていると、その関係は親子関係ではなく主従関係に変質してしまいます。

厳しいようですが、親御さんは自分自身に問いかけなければなりません。“誰のおかげで親をさせてもらっているのか”と。
子どもは自分で決断して親の下に生まれてきたのでは無いのです。子が「親の子」であることは、子の責任ではありません。
しかし、親が「子の親」であることは親の責任です。親は望んで子の親になったのです。そして親とは子どもが自立するまで、子どもに必要なものを提供する責任があります。
そのような親としての責任を承知の上で親になったにも関わらず、自らの責任を子に負わせるようなことを口にするのは不味いですね。

子どもは親が思うよりもずっと非力です。このように言われたら子は従うほかありません。けれどもそこで考えるでしょう。
「親に食べさせてもらっているのだから、親に従わなければならない」、それは裏を返せば「自分で食べられるようになったら親などもういらない」ということです。
親の子であるならば、何歳になっても子は子です。けれども親の奴隷であれば、やがて親との繋がりは失われるでしょう。
いや、実際にはやっぱり親子の縁はそう簡単には切れません。親を捨てることなど子には中々出来ないことです。
しかし、親を親として素直に愛することが難しくなってしまいます。いくつになっても親との関係に迷い悩み苦しみ。愛したいと思いながら愛せない。近づいたり離れたり、優しくしたり罵ったり...。
そういう親子の関係性の歪みを後になって修復するのは容易なことではありませんし、現にこのような悩みを抱えておられる方がたくさんおられます。

親が親であり続けるためには、親としての責任を負わなければいけません。そうすることで親としての喜びを味わうことができるのです。
これは親に限ったことではありません。
しばしば同等であること、同じ目線であることが美徳のように言われます。友達のような親子、友達のような上司・部下。友達のような教師・生徒。
けれども同等・同じ目線を目指す前にまず考えるべきことは責任です。
「同じ目線で」という理想は分かりますが、そもそも立場は同じではありません。もし社長が従業員と同等であるならば、従業員に社長と同等の給料を出すべきですし、教師と生徒が同じであるならば教師は無給であるか、生徒は教師と同じ給料をもらわなければいけません。
同等ではありませんから、当然責任はより重たいのです。同等では無い責任をしっかりと負いつつ、なお同じ目線・同じ立場でものを考えようと努力するならばそれは素晴らしいことです。
しかし責任を回避し、同等だけを主張するのはただの甘えですし、弱者にとっては暴力的な印象さえ受けるでしょう。

親と子は立場が違うのです。ですから、親の責任を放棄するような言葉を子どもに発していたら、親であり続けることは困難になってしまいます。
子であることの責任は子にではなく親にある、この場所をしっかり押さえながら良い親子喧嘩をして下さい。

そうは言っても親は親なりに苦労があり、分かっていても負うべき責任が重たすぎるということはあるでしょう。
その時には、相応しい人に相談すべきですし、相応しい人に助けを求めるべきです。あなたを応援している人が必ずあなたの傍にいます。
教会もあなたを応援しています(^^)/ いつでもご相談下さい。
kawanachurch@ybb.ne.jp 44-1728 川奈聖書教会
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2014年02月27日

家庭におけるタブーの話し

皆さんが自分の子ども時代を振り返った時、子どもながらに案外色々なことに気付いていた、知っていたということがあるのではないでしょうか。
ご相談を受ける時に割と良くある話しは「実は私が子どもの頃、私の両親は○○のようなことをしていたのです。でもそのことには触れてはいけないことになっていました」みたいなことです。
社会で生きる顔と家庭の中での顔がまったく同じということはありません。
牧師ななどは正にそうですが、教師など社会で模範的であることを期待される職業の方は特に、家庭の内と外でのギャップが大きいということが起こりやすいようです。

社会的に非常に尊敬され理想的な人として見られている方の家庭の中に深い闇があるということはしばしばあることです。
多少外と内でのギャップがあっても、子どもが「家のパパは教会では○○だけど、家では○○だよ(笑)」くらいのことを言えれば良いのですが、「家の父は教会でも家庭でも常に信仰深く完璧です」みたいなことしか言えない、言ってはいけないと育てられているお子さんの内面はどのようなことになるでしょうか。

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“子育てともとも”も相談するのに最適の場所。お子さんを観て下さるスタッフも居ますので気軽に声をかけて下さい。リトミックの本多先生のご指導も素晴らしいですよ(^^)/写真左が本多先生、右は牧師(わたし) ともともは2月28日・3月14日午前10時から。。。

これはタブーの問題です。4人家族であれば4人が家庭の中で確かにそのことを見ているのです。しかし、それは存在しない、無かったことに・見なかったことに・口にしないようにしようと、暗黙の了解が作られていきます。
例えば父親が浮気をしていて、それは家族全員が知っていることであるけれども口にすることが出来なかったとします。良い家庭であることを演じながら、傷ついた家庭を誤魔化して生きるということは子どもにとって大きな負担、ストレスです。
あたかも足に大きな怪我を負っていながら、健康を装い皆と同じように行動し続けているようなことですから。当然どこかでその無理が現れます。

更に、子どもの立場に立って考えてみましょう。
目の前におかしなことが起こっている⇒しかしそれを口にすることは許されず、何事も無いかのように偽って生きることを求められる⇒大きなストレスを抱える

この大きなストレスを抱えているサインはそれぞれの子どもが必ず何がしかの形であらわします。子どもがしまい込み消化してしまう、ということは決してありません。
例えば、身体的・精神的・性的な行為におけるストレスを子どもが受けながら、そのことを拒否したり、訴えたりすることが許されなかったとすると、ごく単純な可能性として、学校などの場で自分が受けている行為と類似する問題行動を起こす可能性が高くなります。
親に叩かれている子どもが、学校で友達を叩いてしまうとか、家庭で目を向けてもらえない子どもが、学校で友達を無視するとか、類似の行動で抱えているストレスを発散しようとするのです。

しかし、それで子どものストレスが解消する訳ではありません。
ある専門家は「すり替え欲求」という言葉を使うのですが、親から受けた暴力を友人を叩くことで解消しようとしたとします。欲求をすり替えたのです。
けれども、すり替えていますから当然真の充足はありません。いやむしろ、すり替えられることで益々ストレスは増幅し、そのすり替え行為が繰り返されエスカレートするようになっていきます。
こうして依存症や嗜癖と言われる問題が生じてきます。

聖書の中に「隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。」と書いてあります。
隠すことでは問題は絶対に解決しませんし、やり過ごすことはできません。もし一時的に通り過ぎることが出来たとしたら、その問題は数年後遥かに大きな問題になって帰ってくるでしょう。

第一歩は話すこと。相談することです。信頼できる人に恥ずかしくても、心配でも相談して下さい。
隠されてきた問題に光が当たる、それだけですでに解決への大きな一歩を踏み出したことになるのです。
あなたにその問題を解決する力は無かったとしても話すことは出来ます。そして、話すこと・相談することはあなたの大切な責任です。

教会にも遠慮なくご相談下さい。子育て相談、教育相談、無料でお受けします。電話44-1728 kawanachurch@ybb.ne.jp
そしてぜひ礼拝に足を運んでみて下さい(^^)/
日曜礼拝 AM10:30-12:00 火曜礼拝 PM7:00-8:00

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2014年02月04日

子どもに夫婦関係の愚痴を聞いてもらうのは止めましょう

二週間前に「子どもはカウンセラーではありません」というタイトルのブログを書きました。今日はその続きです。

「子どもカウンセラー」が親から受ける相談のNO.1はなんでしょうか?ずばり、夫婦関係の悩みです...。夫・妻に対する親の愚痴を子どもカウンセラーはたくさん聞かされるのです。色々事情があるのは分かります。伴侶との関係で心を痛めて、名一杯で誰かに話さないではおられない気持ちがあるでしょう。
でも話すべき相手を考えなければいけません。以前にも書きましたように、子どもは自分自身の課題に向き合い成長していくことが仕事です。親の悩みを聞かせ同情させていると、親の気持ちにばかり関心を向けるようになり、肝心の自分自身に向き合えなくなってしまいます。

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今年度最後の伊東牧師司祭会、素晴らしい同労・同志の先生方と共に歩めたことを心から感謝します(^^)/
特に妻・夫に対する不満・悪口、それはすでに関係が終わってしまった仲であったとしても、成長過程にある子どもにぶつけることは良いことではありません。
気持ちは分からないではありません。でもやっぱり、親が子どもにパートナーの悪口(過去の伴侶であっても)を言うことは慎まなければなりません。なぜでしょうか。
仮に、親にとってはすでに「元夫」「元妻」であり他人であったとしても、子どもにとってはいつまでも「父」であり「母」である、この事実は非常に重たいことなのです。

自分自身のことを考えてみて下さい。良くも悪くも両親それぞれの影響を感じない人はいないでしょう。
人は両親があって生まれてくる。神様の定められた真に厳粛なご摂理です。
仮に母親が子どもに対して夫を否定する話しを頻繁にしていたとします。子どもは母親の思いに同情してくれるかもしれません。一緒に夫・父親を非難する言葉を発するかもしれません。
しかし、そうやって片親を非難している子どもは、自分の内にある非難している片親の影響を無意識に感じながら、自分自身の半分を否定することになってしまいます。
あなたが非難しているどうしようもないと思えるその相手が、我が子の父・我が子の母である。この事実は厳しいことですが、尊重し続けなければいけない親としての重たい責任です。

両親がお互いを認め合っている場合、子どもは自分の内にある両親それぞれの影響を肯定的に受け止めることが出来ます。しかし父が母を、母が父を否定するような状況があからさまに見えてしまうと、子どもの中で半分の自分がもう半分の自分を嫌悪する自己否定が起こってしまいます。これはとても苦しいことです。

パートナーとの関係に痛み傷ついているあなたの心はケアされるべきです。信頼できる相談者にぜひ話して下さい。教会は喜んであなたの話を伺わせて頂きます。
けれども、お子さんが父・母をどのように評価するか。それはあなたの夫・妻への評価とは別にお子さんが自分でなさることです。
自分の内にある父・母の影響、自分自身とも言える父・母をどのように評価し、整理し、乗り越えていくか。お子さん自身が、自分の人生の中でなさっていくことですから、親が方向性を示すことではないのです。

理想論でをあなたを苦しめたいのではありません。
お子さんの健やかな成長を願っていますし、あなたの力になりたいと思っています。
ぜひご相談下さい。子育て相談、教育相談、無料でお受けします。電話44-1728 kawanachurch@ybb.ne.jp
そしてぜひ礼拝に足を運んでみて下さい(^^)/
日曜礼拝 AM10:30-12:00 火曜礼拝 PM7:00-8:00


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