2015年01月30日

親子の距離感〜惑星と衛星のように〜

娘たちの学校で「なわとび集会」というのがありました。
家の娘たちはとにかく学校行事は何でも親に観に来てほしいタイプなので、5年生のお姉ちゃんも1年生の妹も「観に来て!来れる?絶対来てよ!!」と繰り返し誘ってくれました。
何とか時間を調整して行ってみると学年ごとの集会なので見学に来ている保護者は10名弱...。もちろんお父さんは私だけ。
マラソン大会のように保護者が呼ばれている集会だと勘違いしていたので若干恥ずかしさはありましたが、私の顔をみつけて喜んでくれる娘たちの顔を私も嬉しく思いながら、八の字飛びを見学してきました。

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オズワルドという心理学者がこのようなことを言いました。
「子どもは親の衛星になることによって問題への正しい対処を学ぶ」、惑星と衛星の関係のように、いつも等距離に親が居てくれることを子どもが感じられる。その安定した親子の関係性・距離感を軸・土台として、子どもは様々な出来事に対処する力を見につけていくというのです。 
いつも同じ場所に、同じ距離に親が居てくれるという、そういう見えない親の支えが子どもの力になるのです。

親子の関係を「衛星」に例えるというのは絶妙な表現だと思います。
ついつい親は心配になって子どもにくっつき過ぎてしまいます。手取り足取り、何でもやってあげたくなるのです。でも、それでは子どもは自分の力をつけていくことができません。親に限らず「誰かにやってもらう」という依存的な発想が染みついてしまうでしょう。
くっついていなくて良い、惑星と衛星の距離感で良い、というのです。

一方だからと言って、親が子に無関心であることのマイナスももちろんあります。
例えば教会のリトミック教室でよく目にする光景ですが、お母さんと離れることが難しい就園前の子どもさんが、他の子どもたちの遊びやおもちゃに惹かれて少しずつ自分でそこに参加して行こうとします。その時に少しずつ前に進みながら、何度も何度も振り返ってお母さんの存在を確認します。
お母さんがそこに居てくれている。私のことを見てくれている。その安心感の中でお母さんの下を離れ、友達の輪の中に少しずつ加わっていきます。
ある一定の距離の中で見ていてくれているお母さんの存在、正に衛星のように離れているけれど繋がっている、その安心感が子どもの自立・成長・チャレンジの力になるのです。
そして成長と共に少しずつ親との距離が離れていき自立に向かっていきます。

親子の惑星と衛星の距離感が安定していると、様々な出来事があっても子どもさんの情緒は安定し様々な課題にそれぞれのペースで向き合っていくことができます。
一方、親子の惑星と衛星の距離感にぶれが起こると、それが何がしか子どもさんの様子に現れるものです。
近づきすぎると依存性が高まりチャレンジ精神が失われたり、親の存在が近すぎて窮屈になりイライラが現れたりします。逆に遠くなりすぎると、「私をもっと見て欲しい」というサインを問題行動や体調不良なので訴える、というようなことが起こります。

最近小・中学校で、怪我をしたかのような傷口のペイントをボールペンやマジックですることが流行っています。
子どもたちの流行にはしばしば意味があると思います。怪我をしたかのようなペイントを見て「どうしたの!」と注目してくれることを望んでいる、「もっと私を見て欲しい」という現代の子どもたちの欲求を投影しているのかもしれません。
親も子も忙しい時代。いつも一緒にいることは出来ませんし、関われる時間は限られています。
でも、子どもは親が私のことを思ってくれている、見ていてくれている、そういう安心感を必要としています。
それぞれの年齢、成長に合わせた惑星と衛星の距離感があります。
惑星である親の都合ではなく、衛星である子どもの状況に合わせて適切な距離感を保つことが出来ると良いですね。

川奈聖書教会はあなたの子育てを応援しています!
子育て相談室 教師歴40年の浦島さんと牧師の山口がお伺いさせて頂きます。
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2014年11月07日

反抗期のお子さんを愛するあなたへ

子どもたちの遊びの定番と言えば“かくれんぼ”。我が家の子どもたちも、教会の子どもたちもかくれんぼが大好きです。
そして、赤ちゃんが最初に覚える代表的な遊びは“いないないばぁ”ですね。この二つの遊びは「隠れる」ことと「見つける」こと、という共通点があります。
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代表&指揮を務めるストリングアンサンブル伊豆のコンサート、大盛況でした。応援感謝<(_ _)>

かくれんぼはオニに見つからないことを目指す遊びですが、しかし子どもたちが本当に求めていることは見つけてもらうことではないでしょうか。ぜったい見つからないような場所に隠れている自分を探してくれる、見つけ出してくれる存在がいることを遊びを通して体験し喜んでいるのです。
逆に見つけてもらえなかったかくれんぼというのはとても悲しいものです...。

時に子どもはあえて親を悲しませることをします。親を困らせ、親を非難し、親への怒りを露わにします。
子どもはそうやって親を苦しめることによって、親が自分に無関心になり、自分を見捨ててくれることを望んでいるのでしょうか。もしそれで親が子に無関心になってしまうのであれば、それは探してもらえないかくれんぼと同じではないでしょうか。

時に子どもが親の前から姿を消してしまうようなことさえ起こります。けれども、だからと言って居なくなった子を「もう知らぬ。親子の縁もこれで切れた」と見捨ててしまうなら、それもやっぱり探してもらえないかくれんぼと同じことなのです。
どこにいるのか分からない、何の連絡も無いお子さんのことを思う親の気持ちはどんなに辛いものでしょうか。でも、そうやって一方的に出て行って、どこにいるのか分からない子どものことを思い続け探し続けてくれる親の愛を力にして、子どもは生きているのです。

激しい反抗期の子どもさんの言動・行動に戸惑い苦しむことがあるでしょう。
その時にぜひ“かくれんぼ”を思い出して下さい。子どもさんは難しい場所に隠れて見つからないことを望んでいるのではありません。
愛せるはずが無いと思えるような自分を現わし、そんな自分をなおひたすらに愛しいと思ってくれる親の愛を力にしながら、子どもさんは思春期の嵐の中を必死に生きているのです。
だから、見つけることよりも、探し続けることが親の仕事なのだと私は思います。

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2014年09月03日

子どもは大人に悩んで欲しいんです

子どもさんのことで相談頂き関わらせて頂く中で、結果的として良い方向に進んだのだけれども、しかしなぜ問題が改善したのか理由は良く分からない、ということが案外あります。
一つの理由は、問題が解決していった要因が幾つかの事柄が複合的に繋がり合った結果だったからということです。様々なことが上手く連動した結果、問題が解決していくということは多いように思います。

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9月6日(土)午後一時半から読み聞かせ会開催します。今回は読み聞かせ+浦島さんのミニライブ!!ぜひ遊びにいらして下さい。

もう一つしばしば感じる大切なことは、親御さんや援助者が何かをしたからというのではなくて「どうしたらよいだろうか...」とその子のことで散々頭を悩ませ、時間を使い、あれやこれやと行動し、そうやって自分に関心を向けてくれている人たちの存在を感じながら、それを力にして前に進み出すということがあるように思うのです。

子どもたちとの関わりは難しいです。私自身、思い悩むことが本当に多いです。そしてまた、子どもを援助していく時に考え込んだり悩んだりという行為は不可欠だとも思っています。
子どもさんというのは、実は誰よりも自分に必要なものが何であるかを知っています(もちろん無意識にでありますが)。
子どもが大人の頭を悩ませる時というのは、往々にしてその問題を通して周囲の人たちが自分に目を向け、関心を持ち、時間を使い、そうやって自分に注目してくれることを必要としている時なのです。
私たち大人は子どもたちの成長を応援することは出来ますが、子どもたちが直面する課題を替わってあげることは出来ません。
どこかの段階で、子どもさんが自分自身と向き合い、目の前の課題に挑戦していくしかありません。
そうやって前向きな一歩を踏み出していくためのエネルギーが不足している時に、子どもは何がしかの問題行動などによって大人の関心を無意識に自分に向けようとするのです。

ですから、子どもとの関わりにおいて必要なことは真剣にその子のことを考え、本気で悩み苦しみ、時間を使うことです。何をどうするかテクニックの問題ではなくて、「どうしたら良いのだろうか...」と自分のために真剣に悩んでくれることをこそ、子どもたちは求めています。
専門家がああだこうだもっともらしい話しをしてもあまり役には立ちませんし、そうやって自分を単純化され安易に答えを出されることは悩みの中にある子どもたちにとって一番不本意なことではないでしょうか。

自分のために悩んでくれる人がいる、心を痛めて心配してくれる人がいる、時間を使ってくれる人がいる、そうやって自分のために犠牲を払ってくれる人たちの存在の中で自らの価値を確認し、愛されていることを感じながら、子どもたちは自分の足で一歩を踏み出していく力を得ていきます。
そして、真剣に子どもさんのために悩めた時ほど、不思議と「悩んでいた私たちは一体なんだったの??」と思えるほど、ある日突然何事も無かったかのように子どもさんが前に進み出すようなことが起こります。

正解を出すよりも、悩んであげること・考え込んであげること・右往左往してあげることの方が大切な時があります。
川奈聖書教会では無料で教育相談、子育て相談をお受けしています。
教師歴34年の浦島さんと牧師の山口が、あなたと一緒に「ああでもない、こうでもない」とお子さんのことに頭を悩ませます!気軽に連絡して下さいね。
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