2017年08月12日

車線変更を繰り返さない子育て

夏休み、車で出かけると交通渋滞は避けられませんね。三車線くらいの道路で渋滞に合うと、なぜか隣の車線の方が早く進んでいるように見えるから不思議です。でもそう思って車線変更を繰り返して早く進める訳ではなく、実際には逆効果でしょう。別の車線に移るとまた別の車線の方が早く進むように見えてきて、そうやって車線変更を繰り返しながら自ら時間をロスしているようなもの。基本的には同じ車線をそのまま走るのが一番早いのではないでしょうか。

人生や子育ても同じです。何か物事がうまくいかない時、成果が上がらない時、私たちの目には他の車線が良く映ります。良い結果が出ないのは自分の走っている車線が悪いから。車線変更した方が良いのではないか、そうすれば違う結果が得られるのではないか、と考えてしまうのです。

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先日伊東の花火大会がありました。思わず写真撮ってしまいます。

ピアノの先生をしている友人が「最近の親御さんは、自分が願う様に子どもが成長しないと直ぐに先生を変えたがる」と話していました。心理士をしている友人も「最近の患者さんは、自分が願うペースで回復しないと直ぐに別のカウンセラーに移りたがる」と話していました。待つことが苦手なのは現代人の特徴かもしれません。
思う様にいかないことがあると受け止められず、原因を特定したくなります。「誰誰のせいで」「○○が原因で」、そう考えることで目の前の現実から逃避してしまうのです。
でもそういう生き方は渋滞の中の車線変更と同じ、多くの場合遠回りにしかなりません。今願う結果が出ていなかったとしても、その道に留まることが一番の近道であることは多いのではないでしょうか。

内村鑑三が自らの人生の転機になった出来事として、師であるシーリー教授のこのような言葉を書き残しています。
【あなたのしていることは、子どもが植木を鉢に植えてその成長を確かめたいと毎日土を掘り返し根っこを抜いているようなものだ。なぜ成長を神と日光に委ね、安心してあなたの成長を待たないのか】

それぞれが人生で咲かせる花には違いがあります。その大小にも違いはあるでしょう。でもそれはあまり問題ではありません。
私たちが花を観て「大きいから綺麗、小さいからつまらない」、そんな風に考えないのと同じ。子どもたちそれぞれがステキな花を咲かせてくれます。大小は問題ではありません。
でも親はわが子に大きな花を咲かせて欲しいと考えて、良かれと思って車線変更を繰り返させてしまうようなことがあります。そうやってせっかく咲くはずの種を傷つけ、すでに成長をはじめている根を痛めてしまうのです。
大切なことはその子らしく咲かせてあげること。そのために一番大切なことは、信じて待つこと。一人一人が素晴らしい花を咲かせる種を持っていて、それを成長させてくださる神様がいらっしゃることを、です。

私も自分の娘には、思い通りにいかない時に自分の足りない所・課題を率直に認めながら、しかし成果が出なくてもこれまで自分が頑張ってきたことを簡単に否定してはいけないこと。なかなか前に進めない時にも、なおそこに留まって努力することが人生の最短距離であると励まします。そう教えながら、これは子どもの問題である以上に親自身の課題だなと思います。
成長と共に親が子どものためにできるプラスのサポートはどんどん少なくなっていきます。良かれと思って行動しても裏目に出ることばかり。そういう中で親が子どものためにできる最大のサポートは、表面的に現れる出来事に左右されず確かに地中で根は成長していて、やがて咲く花は大小に関わらず素晴らしいものであると信じていること。そうやって成長させてくださる神様に信頼することです。

あなたの子育てを応援している、牧師の山口です。

posted by pastoryama at 23:05| Comment(0) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月19日

上の子を愛せないあなたへ

今日は複数っ子の子育てについてご一緒に考えたいと思います。
私は2人兄弟の次男として育ちました。愛知で教員をしている2歳上の兄がいます。男兄弟なのでべたべたすることは無くてもコツコツ真面目に頑張る兄を尊敬していますが、それ以上兄との関係性について深く考えることはありませんでした。
しかし自分が親になり2人の子どもを育てる中で、上の子と下の子の違いに気付かされることが多くあり、私自身の兄弟関係について改めて考察する機会にもなっています。

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この時期は犬連れて山に入ると帰ってお風呂入れなければいけなくなるので、最近は川奈港がお気に入りの散歩コースです

言うまでも無く上の子というのは常に親にとって新しいことの連続です。オムツを替えるのもおっぱいをあげるのも、幼稚園や小学校に通うのも、子どもだけでなく親にとって全てが初めて。当然親も緊張しますし、神経質になったり時に過敏・過剰になったりと、1人目の子育ては本当に大変です。それに比べれば、ほとんどすべてのことが経験済みの2人目の子育ては余裕があります(あくまで比較の話しです)。
子ども自身も、下の子は幼稚園に通うお姉ちゃんの送り迎えで幼稚園に行き、小学校の授業参観についていって学校の様子を知り、そうやってこれから自分が進んでいく場所を先に把握することができますから余裕が違います。
子育てをしてみて、下の子が上の子のゆえに得られる恩恵がたくさんあることに驚きます。弟の私も「親子の初めて」を体験してくれた兄のおかげで随分助けられたのだろうと思い今は感謝をしています。

そうやって兄弟の中でパイオニアとして初めての課題に向き合っていく上の子独特の強さがある一方、子育ての相談の中で非常に多いお母さんの悩みとして「下の子が可愛い。上の子を愛せない」という訴えをしばしばうかがいます。
ぜひ知っていただきたいことは「下の子が可愛い、上の子を愛せない」という感覚はごく一般的なことですし、そう感じたり思ってしまうこと自体は理由があることで親としての愛の欠如や欠陥を意味するようなことではありません。ただ、放っておくと色々と深刻化してしまいやすい課題ですから、放置したり正当化せずに早めに対処なさることをお勧めします。

上記のような感覚を親が持つことの理由ははっきりしています。あまり長くなってもいけないので、以下簡単に2点を指摘します。

【下の子が上の子に比べると育てやすい、と感じる】⇒それは、子どもの資質の問題ではありません。最初のお子さんを育てるのは本当に大変なことです。自分で思っている以上に、あなたは第1子の子育てを頑張り懸命にお子さんをお育てになったのです。そして、その頑張りは身も心もすり減らすような痛みを伴うものであったのでしょう。
一方、2人目のお子さんは最初の経験がありますから以前より楽に子育てができます。「良かった、良かった」となりそうなものですが、そこでお母さんの中に最初のお子さんを育てた時の痛みや苦しみが残っていると、2人目は可愛い。それに比べて1人目は、、、と無意識に怒りや悲しみを第1子に転嫁するということが起こってしまいます。
かなりお子さんが大きくなっても「上の子を抱きしめられない」とか「上の子にカッとしてしまう」などの悩みを抱え続けておられるお母さんがいらっしゃいます。
でも、あなたが本当に1人目のお子さんを愛していないわけではありません。そればかりかこういう感情を持たれる方は、1人目のお子さんを人一倍必死に愛されたお母さんです。それゆえの傷が問題になっているのです。ご自分を責めないでください。

【性格的に下の子の方が素直で可愛い、と感じる】⇒繰り返しになりますが、一人目の子育ては初めての連続なので親はどうしても神経質&過敏になってしまいます。私自身もそうでした。1人育ててみると「そんなに心配いらないのだな」と分かり、2人目は良い意味で力を抜いて子育てができます。そうすると、往々にして子どもも大らかで素直な性格に育つ傾向があるようです。
一方、親が神経質な中で育てたお子さんは性格的にこだわりが強く、頑固で融通が利かないという傾向が見られるようです。それは子どもの資質の問題ではありません。その第一子の性格は、正に経験の無い親が必死に子どもを守り育てようと思って几帳面に育てた結果構成される人格で、私はそういう1人目のお子さんが持ちやすい特質はマイナスと決めつける必要はないと考えています。
お世辞にも順調とは言い難い1人目の子育てであったかもしれませんが、神経質になりすぎてしまったところも子どもを愛するがゆえに起こったこと。適切な関わりを続ける中で、第一子の特質は強みになっていくものです。頑固や自己主張の強さにイラッとする時には、そのお子さんの子育ての中で無我夢中で頑張っていた時のご自分を肯定的に思い出してみてください。お子さんの姿が少し違って見えてくるかもしれません。

「下の子が可愛い、上の子を愛せない」という感情に苦しんでいるお母さんへのアドバイスは、自分を責めないこと。自分を正当化しないこと。自分の内側にため込まないことです。
もうお分かり頂けたと思いますが、上の子を愛せないという感情はお子さんの資質の問題ではなく、第一子の子育ての中でお母さん自身が体験した苦労や残ってしまった傷・痛みに起因するもので、大切なことはその傷をケアすることです。
痛みや傷は他のことに転嫁しても癒されることがないばかりか、状況は更に深刻になっていきます。まずはあなた自身が抱えておられる痛みに寄り添っていく機会をもってください。
信頼できる友人や援助者に話しても良いですし、同じ経験をされたお母さんと話してみるのも良いかもしれません。もちろん教会にご相談いただくことができます。
あなたがダメな母親なのではありません。ただ少しケアが必要なのかもしれませんね。
大丈夫です。愛するがゆえに経験した痛みや傷は、適切に関わることで必ずプラスに変えられていきます。
あなたの子育てを応援する川奈聖書教会牧師の山口です。

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2015年11月19日

子どもに教えるべき本当の「特別」

「あなたは掛け替えの無い特別な存在」、親はわが子にそのように伝えたいと願うでしょう。大切なことです。しかし時に「特別」の意味を履き違えしまうことがあるかもしれません。
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21日(土)午後1時半から2時半、教会ピアノ教室の発表会を行います。ピアノを通して子どもたちの健やかな成長を願い、3年間続けてきました。ぜひ応援にいらしてください。またピアノ教室や教会塾に関心の方は気軽に連絡ください。

子どもの頃、私が通っていた空手教室の流派の大先生のお祝いの式典でこんな光景を目にしました。
空手道の式典ですから偉そうな先生が前に並んで厳粛な感じで執り行われていたのですが、式の途中小さな子どもさんがチョロチョロっと前に出てきておどけた仕草をしました。途端に張り詰めた空気がゆるんで、前に並ぶいかめしい先生たちがニコニコと顔をほころばせたのです。そのお子さんは大先生のお孫さんでした。
その様子を見ていて今度は別の小さな子どもさんが、やはり前に出てきて同じようにふざけたのですが、そのお子さんはあっという間に「あっちに行きなさい」と連れ出されてしまいました。そのお子さんは「普通」のお子さんだったからです。
中学生の私はその光景を非常に嫌な思いをしながら見ていたことを思い出します。

子育ての中で子どもの「特別」の意味を履き違えないように気をつける必要があります。本当の意味での「特別」を教えるためには、子どもの立ち位置を「特別」にしてはいけないのです。
「普通」の子どもとは違って大先生の孫である「特別」な子どもは、そもそも他の子どもたちと立っている場所が違います。違う場所に立っているがゆえに「特別」であると自分を認識していた子どもが、その「特別」を失った時に経験するのは劣等感です。大人が与えてくれた下駄を履いて他の子どもを見下していた子どもさんは、下駄が無ければ自分を肯定できなくなってしまいます。
フラットな関係性の中で自らを肯定する力が養われていないので、普通の関係性の中に生きることができないのです。
つまり立場・立ち位置としての「特別」を与えられて優越感を経験することは、結果として子どもの健全な自己肯定感を損なわせてしまうことになりますし、人間関係を構築していく上で大きな問題を抱えてしまいます。

先日、ある学校で修学旅行の際にクラスの大勢の子どもさんが持っていけるお小遣いの上限を超えて持ってきて問題になったという話しを聞きました。親御さんたちの「自分の子どもだけには多く持たせてやりたい」という思いが働いたのでしょう。
しかし、子どもにとって大切な経験はたくさんお小遣いがあるから「特別」楽しめることではなく、決められた枠の中であれこれ考え工夫し得られる自分だけの「特別」な楽しさではないでしょうか。

大人が与えた下駄を履いての「特別」は、子どもに本当に与えなければいけない「特別な存在である」という自己肯定感をむしろ損なわせてしまうものです。
比較することの中での特別性では無く、比較できないことの中に見出される特別性を子どもに伝えることができたら、子どもの人生に掛け替えの無いプレゼントができたと言える子育てになるのではないでしょうか。

川奈聖書教会はあなたの子育てを応援しています!ぜひ教会学校に子どもさんをお送りください。
毎週日曜日 午前9時15分から10時30分

posted by pastoryama at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする