2016年02月04日

「悪者を必要としている“私”」という落とし穴

悪口の心理とはなんでしょうか。誰かの悪口で盛り上がっている時に、私たちは無意識に「彼らのようではない私」という図式での自己肯定を喜んでいるのです。
敵を作ったり、悪者を作ることで自分を肯定しようとする手法に私たちは容易に取り込まれてしまいます。しかしそこには何も良い物はうまれません。

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「誰それのようではない私」「悪者と戦う私」という心理は、自分を肯定するのにもっとも容易な手法と言えるかもしれません。しかし良く考えると、そこで「私」が何者であるかは何も説明されてはいません。
そればかりか、何がしかを否定したり非難することで自分の存在価値を確認したり自分を肯定しようとする生き方の中で、その人は常に敵を必要とし、悪者を必要としてしまいます。
否定したり非難する相手がいなければ、自己を肯定することも、自分の価値を確認することも出来なくなってしまうからです。

こうした、対立構造の中に自己肯定を見出そうとする心理には、共依存との共通性が認められます。
共依存は「必要とされることの必要」という少々ややこしい言葉で説明されます。自分の存在に自信が無い人は、誰かから必要とされることを求めるのです。
例えばアルコール依存症で問題行動ばかり起こしているダメ夫を甲斐甲斐しく支えている妻の内に、共依存的な問題が認められることがあります。

一見すると、ダメ夫を寛容な心で支え続けている愛に溢れた妻のように見えますが、実は自分がいなければ生きられないダメ夫を支えることを通して妻は自分の存在価値を確認しているのかもしれません。
そうした時に、もし夫がアルコール依存症を脱して自立的な生活を始めたらどうでしょうか。妻は喜ぶどころか困ってしまいます。
自分が居なくても生きられる夫では、妻は自分の存在価値を確認出来なくなってしまいます。ですから妻にはダメ夫が必要なのです。これが「必要とされることの必要」、共依存です。
このように考えていった時に、実は夫の問題行動を必要としている妻が、夫の問題行動を支えてしまっているという新しい構図が見えてくるのです。

「戦争グループ」と「平和グループ」という対立構造があったとして、「平和グループ」に属する人が「戦争グループ」という敵を必要としているならば、その「平和グループ」は平和を生み出すことはできません。いやむしろ、「平和グループ」が「戦争グループ」を支えているとも言えるでしょう。

敵や悪者、問題・対立を必要としている人が、平和や和解・正義を振りかざしてもそれはまやかしに過ぎません。掲げている看板だけでは見えない真実を見抜く目が必要です。
まず私たちは、否定する誰かを必要とし、それゆえに表向き平和を求めながら結果として対立を生み出し、対立を支えてしまう者であることを認めるところから始めなければなりません。
他者を否定すること無しに語ることのできる「私」を獲得することが必要なのです。

聖書は「神に愛され、生かされている私」という揺るがない「私」を語る言葉を与えてくれています。
たった一度のあなたの掛け替えの無い人生を応援している、川奈聖書教会 牧師の山口です。
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posted by pastoryama at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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