2016年01月20日

なんと呼ばれたいですか?

色々な呼ばれ方をします。一番多いのは「山口先生」。でもそれだけではありません。娘たちからは「パパ」、友人たちからは「グッチーorボクさん」。ご近所さんは「山口さん」、親・兄弟は「こうじ」、妻からはいまだに「こうじくん」です…^^;
色々に呼ばれることを大切にしたいと思っています。
学校の「先生」、病院の「先生」、最近は少なくなりましたが政治家を「先生」と呼ぶ方もいますし、牧師も「先生」と呼ばれます。
先生としての責任を回避してはいけないと思いますが、一方で常時「先生」になってしまってもいけません。

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聖歌隊の親睦会&新年会を大室高原のmiracoloさん(http://www.miracolo.jp/)で開催しました。いつも美味しいお料理と楽しい時間をmiracoloさん、ありがとうございます!

ある時点まで「先生」というのは自分より年上の人でしたが、段々自分より若い「先生」に出会う機会が増えてきました。私が最初に出会った年下の「先生」は娘の幼稚園の先生でしたがそれは新鮮な経験でした。
子どもがお世話になる先生に対して、親である私が敬意をもって「先生」として関わることは大切なことだと思っています。
以前、教会にお招きしたあるベテランの牧師さんは、ご子息と主任牧師を交代した時から教会ではそのことを弁え息子さんである主任牧師に敬語で話していると教えてくださいました。
牧師は教会において確かに先生としての責任を与えられています。けれども、当たり前のことですが牧師があらゆる事柄において「先生」である訳ではありません。
私は尊敬すべき信徒の方々に囲まれています。人生経験・社会経験・専門知識、様々なことで信徒の方が私よりも秀でており、私の先生になってくださいます。
最近は自分より若い教会のメンバーが少しずつ増えてきましたが、やはり若い方々を見ていて尊敬すべき所、教えられる所が多々あります。

一つの立場、一つの土俵にしか立てない人は不自由ですし成長することができません。その人は自分の肩書きが通用する土俵にしか立つことができないので、他の土俵で生かされる能力を持っていたとしてもそれを発見することができません。
一つの測り・一つの土俵だけで構成される集団というのは、相互に作用し影響しあう関係性が生まれないので閉鎖的で発展性がありません。
例えば私が常に先生である集団は私の能力以上に成長できませんし、私の限界が集団の限界になってしまいます。しかし、相互に先生として影響し合える集団は、一人のリーダーの能力・限界を超えて成長することができます。
このように個人・集団、両面において自分の得ている敬称・肩書きに固執しないことが成長することの秘訣です。

いつも先生であろうとしないこと。いつも生徒でいることに甘えないこと。様々な土俵にあがり、様々な視点があることを知り、尊敬しあう関係性に生きること。
豊かさを味わい成長していくためには相互に影響し合えるかがどうかがカギになります。
あなたの人間関係はどうでしょうか。あなたが属している集団、あなたが生活している地域はどうでしょうか。
「共依存から相互依存へ」、神学校卒業以来13年間ずっと考え続けているテーマです。

posted by pastoryama at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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