2014年05月08日

遊びの心を忘れずに

教会創立時からの信徒さんが入居しておられる老人ホームを訪ねました。
体調を崩され入院し一時は寝たきりの状態でしたが少しずつ健康を回復されています。ちょうどリハビリ中だったので、20分くらいその様子を拝見していました。
終了後、「体操はどうですか?」と伺うと「中々思うようにいかないけどさ〜」とおっしゃりながらも充実のお顔。「神様から頂いた体だから大切にしないといけませんよね〜」と満面の笑みで答えて下さいました。
写真.JPG

ステキだなぁと思いました。この方は一緒に生活するご家族がおられませんので、リハビリをしてまたご自宅に戻れるという状況でもありません。それでも今与えられている体力の中で体を動かし前向きにリハビリに取り組むお姿、その時間を喜んでおられる姿は輝いていました。

リハビリを拝見しながら、私は子どもたちが遊んでいる姿を思いだしておりました。「遊び」というとバカにしているような印象を持たれるかもしれませんが違います。
子どもたちが遊んでいる様子ってホントにステキです。何がステキなのか。遊ぶことそのものを喜びとして夢中になっている姿が何ともいえずステキなのです。
一方、私たち大人は何かをするのに目的、動機を必要とします。「これは健康のため、体を鍛えるため、人脈作り、仕事の成功のため」、目的と言えば聞こえが良いですが常に打算的とも言えるかもしれません…。

ご家族の問題、特にパートナーのメンタル面での問題やお子さんの不登校のことなどを思い悩むと知らず知らずの内に目的意識を持った関わりになってしまいます。
“このことをすると夫の妻の心の回復に有益ではないか”、“ここに行くことが。これこれに取り組むことが子どものメンタルの回復に役に立つのではないか”、そういう発想です。
気持ちは分かるのですが、そうすると遊びが無くなってしまいます。相手の問題の解決に心を奪われ、今自分が生きている、生かされていることの実体を見失ってしまいます。

また、目的があって為される行為は常に結果を求めてしまいます。ですから、意図していないのですが弱さの中にいらっしゃる方は「あぁ、これこれをしてもらったのだから元気にならなければ」「ここに行ったのだから明日はその分頑張らなければ」、そうやってプレッシャーを感じてしまいそのプレッシャーが逆効果をもたらしてしまうのです。

目的志向が強くなると、今そのものにある価値が分からなくなってしまいます。
難しいことですが、目的意識を持たずに今そのままのご主人・奥さん・お子さんとと共に過ごせる時間を喜んでいく、楽しんでいく、感謝していく、そんな心に目を向けていくことが必要ではないでしょうか。
「ここにあなたが居てくれる」、この事実は相手がどのような状況にあろとも掛け替えのない神様からのお恵みです。夢中になって遊ぶ、喜ぶ、そんな時間を忘れないでいたいですね。

あなたの掛け替えのない今を応援している川奈聖書教会です!
http://www.geocities.jp/kawanachurch/


posted by pastoryama at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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