2013年10月26日

夫は夫、妻は妻、子は子、義父母は義父母、、、

中々ピンと来ない話しかもしれませんが、私がご相談を受ける中でしばしば問題の原因になっていると思える事柄について今日は簡単にまとめてみたいと思います。

赤ちゃんとお母さんは出産後10カ月くらいまでの間、母子一体感と呼ばれる非常に密接な関係性の中にあります。密接というより二人で一人と言えるような状態です。
例えば赤ちゃんはミルクを貰った時に「ありがとう」と思いませんし、オムツを替えてもらった時に「迷惑掛けるね」と思っていません。当たり前ですが^^;
自分の欲求を満たしてくれて、不快を取り除いてくれて、いつも快適に過ごさせてくれる親の存在を自分の一部と感じているのです。このような母子一体感を体験することは非常に大切で、その後の自立に向かう歩みの土台になっていきます。

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このように自分の要求・必要を無条件に満たしてもらう親子の関係性は重要です。
幼少期における親への甘えや要求が適切に満たされていることによって、自らが親になった時に子どもを適切に受容し育むことができるのです。(もちろん完璧はありません)
もしこのような経験が著しく欠けている場合どのようなことが起こりやすいでしょうか。

自分が大人になった時、親になった時、パートナーや子どもに対して自分が幼少期にもらえなかった満たしを求めやすいのです。
親にしてもらった行為を子にすることもまぁ簡単なことではありませんが、親にしてもらえなかった行為を子にするというのは本当に大変なことです。多くの場合、子どもの時に親にしてもらえなかった行為を、大人になった時に無意識にですが周囲に求めたくなってしまいます。

難しいことは、幼少期に得られなかったものを大人になって求めてしまう方は、他者が与えてくれるものを「感謝」として認識することが出来ず、周囲の人がしてくれる行為を「当たり前」と受け止めやすいです。一方自分の望むものを与えてもらえないことに対しては過度に敏感になりがちです。
これは正に母子一体感にある子どもの感性そのものです。ただ、ゼロ歳児には許されることですが大人になってのこのような感覚は家族関係・社会生活に致命的な問題を引き起こしてしまいます。

傍から見ると「あの人は良いパートナーに恵まれ、良い家族・友人関係に恵まれ」と思える人が周囲の人への不平不満で一杯ということがあります。
色々なケースがありますが、一つの可能性としてどんなに素晴らしいパートナー・家族・友人関係を得たとしても、その人たちに親の役割を求めるならばその人の要求を満たせる人はどこにも居ないということです。
夫は夫、妻は妻、義父母は義父母、友人は友人、同僚は同僚、子どもは子ども、当たり前のことのようですがしばしば自分の幼少期の欠けを無意識に現在の人間関係に求めて満たされず不満に追い立てられているということがあります。そのような「やってくれて当たり前」という無意識の思い込みが無いでしょうか。

あなたの得られなかった悲しみを満たすことは人には出来ません。私にも出来ません。
ただ神様だけがあなたの悲しみに心底同情し、慰めを与えて下さるお方。求めるべきお方を知る時に、あなたの周囲の方々が与えてくれている物の大きさもまたはっきり見えてくるものです。

牧師とお話ししたい方は連絡下さい。もちろん教会ですから無料です。
44-1728 E-mail kawanachurch@ybb.ne.jp
礼拝はどなたでもお越しになることが出来ます。
日曜礼拝 AM10:30-12:00 火曜礼拝 PM7:00-8:00

posted by pastoryama at 22:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 人間関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
前回の、本当にどうしようもないことですか?に、物凄い勇気をもらい、諦めずに話しかけていけば道は開ける、と実感しました。勝手に心の拠り所にしてしまいすみません…
自分一人で精神を保つのは難しくても、周りの人たちの支えのお陰で行動することができるんだなあ。

今回のお題ですが、私が夫と付き合いはじめた頃?「僕はとも(私の名)のお母さんにはなれないよ」と言われたことを思い出します。私は非常にひねくれた子供時代だったので、母の愛に憧れていたのです。結婚した今なら、愛されてたんだなと気付けましたが(>_<)
私はまだ子供がいませんが、自分の記憶にないことを子にするのは本当に難しそうです。
嫌だなと思っていても結局似ちゃうんですよね、母に…。子がいない今でも既に~_~;
Posted by 和田友子 at 2013年10月27日 01:16
友子さん ご愛読頂き光栄です。毎週のブログがどなたか一人の力になれたら良いなぁと思って書いていますから、前回のブログを喜んで頂けてすごく嬉しいです。

「嫌だな」と思っても似てしまう、これ親子の宿命ですね。私はこのブログ、親が読んでる可能性あるので自分のことはノーコメントにしておきますけど(^_-)

真面目な話し「親には似ない・親とは違う生き方をする」と突っ張って生きてみても、ただ振り子が逆に触れているだけで根本的には同じ、ということしばしば起こります。
もし違いが生まれるとしたら、そういう自分を認めているかどうか、受け入れているかどうか、その辺りのことなのかなと思うんです。欠けがあるかないかより、欠けを認めているかどうかの違いの方が大きいと、その辺の所次回のブログにまとめますね(*^^)v
神様の祝福をお祈りします!
Posted by 牧師山口 at 2013年10月27日 22:09
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