2013年09月14日

その人は本当に不要な人?

教育学の先生から以前このような話しを聞いたことがあります。
10人のグループで勉強していたとして大抵その中で一人は足手まといと思えるような人が出てくる。それで、その一人を切り捨てて9人になると良いグループが出来上がるかと言えばそうではない。不思議なことに9人の中にまた一人、落ちこぼれと思えるような人が生まれてくる。その人を切り捨てるとまた一人、そのことの繰り返し。
それゆえグループの力を最大限引き出そうとするならば、足手まといと思える一人が脱落しないように適切にフォローし10人のグループを守っていくことである、ということでした。非常に興味深い話しです。

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私たちは「有益な人、不要な人」を見抜く目を持っていると直ぐ考えますがそれは傲慢です。
「足を引っ張っている」と思える人が実は他の9人が脱落しないための支えとしての役割を果たしていたように、私たちは知らない場所・気がつかない所で色々な人に支えられて生きているものです。
そして「あの人さえいなければ」と感じる人を切り捨てた瞬間、次に集団の中でお荷物とされるのは自分であるかもしれません。その時に気付くのは、自分が実はあの人に支えられていたのだということです。

集団は常に微妙なバランスの上に成り立っているものです。
ある局面で非常に力を発揮する人が別の状況では全体の足を引っ張ることがありますし、普段目立たない人がある局面において重要な役割を果たしてくれることがあります。
人には長所・短所が必ずありますからそれは当然のことです。そういう様々な特徴を持った人たちが集まって、一つの集団が形作られ、支えているのです。

けれども、私たちはどうしてもマイナスが現れる局面において批判的になり「この人が居なければ」などと考えます。誰かを省くことで理想的な集団を形作ろうとするのです。
しかし自分が属するその集団は「いらない」と思えるその人を含んで成立しているのであって、その人を失ったら自分が守りたいと思っている集団そのものが失われるということを忘れてはいけません。

「この人のここがダメ、あの人のあそこがダメ」、そんなことばっかり言っているのは玉ねぎの皮むきみたいなことであって何も残りませんし、やがて自分自身も玉ねぎの皮の一部として捨てられてしまうでしょう。
ダメと思えるその人を生かすことを考えましょう。そうやって人を生かそうとすることで、自分自身が生かされるのです。

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posted by pastoryama at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 人間関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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