2016年06月19日

上の子を愛せないあなたへ

今日は複数っ子の子育てについてご一緒に考えたいと思います。
私は2人兄弟の次男として育ちました。愛知で教員をしている2歳上の兄がいます。男兄弟なのでべたべたすることは無くてもコツコツ真面目に頑張る兄を尊敬していますが、それ以上兄との関係性について深く考えることはありませんでした。
しかし自分が親になり2人の子どもを育てる中で、上の子と下の子の違いに気付かされることが多くあり、私自身の兄弟関係について改めて考察する機会にもなっています。

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この時期は犬連れて山に入ると帰ってお風呂入れなければいけなくなるので、最近は川奈港がお気に入りの散歩コースです

言うまでも無く上の子というのは常に親にとって新しいことの連続です。オムツを替えるのもおっぱいをあげるのも、幼稚園や小学校に通うのも、子どもだけでなく親にとって全てが初めて。当然親も緊張しますし、神経質になったり時に過敏・過剰になったりと、1人目の子育ては本当に大変です。それに比べれば、ほとんどすべてのことが経験済みの2人目の子育ては余裕があります(あくまで比較の話しです)。
子ども自身も、下の子は幼稚園に通うお姉ちゃんの送り迎えで幼稚園に行き、小学校の授業参観についていって学校の様子を知り、そうやってこれから自分が進んでいく場所を先に把握することができますから余裕が違います。
子育てをしてみて、下の子が上の子のゆえに得られる恩恵がたくさんあることに驚きます。弟の私も「親子の初めて」を体験してくれた兄のおかげで随分助けられたのだろうと思い今は感謝をしています。

そうやって兄弟の中でパイオニアとして初めての課題に向き合っていく上の子独特の強さがある一方、子育ての相談の中で非常に多いお母さんの悩みとして「下の子が可愛い。上の子を愛せない」という訴えをしばしばうかがいます。
ぜひ知っていただきたいことは「下の子が可愛い、上の子を愛せない」という感覚はごく一般的なことですし、そう感じたり思ってしまうこと自体は理由があることで親としての愛の欠如や欠陥を意味するようなことではありません。ただ、放っておくと色々と深刻化してしまいやすい課題ですから、放置したり正当化せずに早めに対処なさることをお勧めします。

上記のような感覚を親が持つことの理由ははっきりしています。あまり長くなってもいけないので、以下簡単に2点を指摘します。

【下の子が上の子に比べると育てやすい、と感じる】⇒それは、子どもの資質の問題ではありません。最初のお子さんを育てるのは本当に大変なことです。自分で思っている以上に、あなたは第1子の子育てを頑張り懸命にお子さんをお育てになったのです。そして、その頑張りは身も心もすり減らすような痛みを伴うものであったのでしょう。
一方、2人目のお子さんは最初の経験がありますから以前より楽に子育てができます。「良かった、良かった」となりそうなものですが、そこでお母さんの中に最初のお子さんを育てた時の痛みや苦しみが残っていると、2人目は可愛い。それに比べて1人目は、、、と無意識に怒りや悲しみを第1子に転嫁するということが起こってしまいます。
かなりお子さんが大きくなっても「上の子を抱きしめられない」とか「上の子にカッとしてしまう」などの悩みを抱え続けておられるお母さんがいらっしゃいます。
でも、あなたが本当に1人目のお子さんを愛していないわけではありません。そればかりかこういう感情を持たれる方は、1人目のお子さんを人一倍必死に愛されたお母さんです。それゆえの傷が問題になっているのです。ご自分を責めないでください。

【性格的に下の子の方が素直で可愛い、と感じる】⇒繰り返しになりますが、一人目の子育ては初めての連続なので親はどうしても神経質&過敏になってしまいます。私自身もそうでした。1人育ててみると「そんなに心配いらないのだな」と分かり、2人目は良い意味で力を抜いて子育てができます。そうすると、往々にして子どもも大らかで素直な性格に育つ傾向があるようです。
一方、親が神経質な中で育てたお子さんは性格的にこだわりが強く、頑固で融通が利かないという傾向が見られるようです。それは子どもの資質の問題ではありません。その第一子の性格は、正に経験の無い親が必死に子どもを守り育てようと思って几帳面に育てた結果構成される人格で、私はそういう1人目のお子さんが持ちやすい特質はマイナスと決めつける必要はないと考えています。
お世辞にも順調とは言い難い1人目の子育てであったかもしれませんが、神経質になりすぎてしまったところも子どもを愛するがゆえに起こったこと。適切な関わりを続ける中で、第一子の特質は強みになっていくものです。頑固や自己主張の強さにイラッとする時には、そのお子さんの子育ての中で無我夢中で頑張っていた時のご自分を肯定的に思い出してみてください。お子さんの姿が少し違って見えてくるかもしれません。

「下の子が可愛い、上の子を愛せない」という感情に苦しんでいるお母さんへのアドバイスは、自分を責めないこと。自分を正当化しないこと。自分の内側にため込まないことです。
もうお分かり頂けたと思いますが、上の子を愛せないという感情はお子さんの資質の問題ではなく、第一子の子育ての中でお母さん自身が体験した苦労や残ってしまった傷・痛みに起因するもので、大切なことはその傷をケアすることです。
痛みや傷は他のことに転嫁しても癒されることがないばかりか、状況は更に深刻になっていきます。まずはあなた自身が抱えておられる痛みに寄り添っていく機会をもってください。
信頼できる友人や援助者に話しても良いですし、同じ経験をされたお母さんと話してみるのも良いかもしれません。もちろん教会にご相談いただくことができます。
あなたがダメな母親なのではありません。ただ少しケアが必要なのかもしれませんね。
大丈夫です。愛するがゆえに経験した痛みや傷は、適切に関わることで必ずプラスに変えられていきます。
あなたの子育てを応援する川奈聖書教会牧師の山口です。

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2016年06月01日

AIにない人の魅力とは(将棋名人戦の感想から)

羽生名人敗れ、佐藤天彦新名人が誕生しました。天彦8段の4勝1敗ですから結果だけでいえば完勝、完敗です。
別に将棋を指す訳では無くルールが分かる程度ですが、解説付きで見ていると信じられない程に先の手を読み合っている棋士の様子が面白く、観戦するのは好きです。
今回の名人戦は今とにかく勝ちまっくている20代の天彦挑戦者と40代半ばでなお絶対王者の羽生さんの戦いということで関心がありました。名人戦は1回の対局が2日がかりで4勝した方が勝ちという長丁場ですからもちろん全部を見ることは不可能ですが、時間のある時にニコニコ生動画を覗いたりyoutubeにアップされている動画を見たりして推移を見守っていました。

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天彦8段が圧倒的な強さを見せたのは誰の目にも明らかですが、そんな中でニコニコ動画の画面に次々表示されていく視聴者のコメントに世相のようなものを感じました。
「羽生衰えた。羽生の時代終了。世代交代」、劣勢の羽生さんの姿を見てもはや「羽生に見る所無し」と言わんばかりの言葉が数え切れず表示されていました。
確かに40代半ばの羽生さんですから、後になってこの名人戦が世代交代のターニングポイントだったと言われる可能性はあるでしょう。ただ、ある程度年齢を重ねた人が若い人に負けると「彼の時代は終わり。衰えた。時代遅れ」と短絡的・表面的な評価しかされない価値観の薄っぺらさに違和感を覚えるのです。

特に3戦目・4戦目は私のようなど素人の目にも、終始羽生さん劣勢で厳しい展開でした。プロの棋士の方に言わせると一日目の形で、もう勝負ありと見えるような状況だったようです。
経験豊かなプロ棋士たちが軒並み「勝ち目なし」と見ている中、しかし羽生さん粘りました。そして終盤に飛び出した「八八歩」の一手は、対戦者の天彦八段も観戦しているプロ棋士たちをも呻らせる予想だにしない手だったようです。大逆転とまではいきませんでしたが、2日目朝の時点で「羽生完敗」と思われていた将棋を夜まで指し繋ぎ、最後の最後で「まさか」と思わせる山場を作って見せた羽生さんの執念に感動しました。

以前、精神科医の工藤信夫先生の勉強会で先生が「ベテランの精神科医より若手の医師の方が良いケースがある。ベテラン医師は自分の経験の中で患者さんの回復の可能性を早い段階で見切ってしまう所があるが、若手は経験が無いので“何とかできないか”と無理と思えるケースでも頑張り、思いもよらない結果を出すことがある」、そんなことをおっしゃっておられました。
様々な職業でそういう面があるかもしれません。私はまだ牧師歴13年の新米ですが、それでも僅かな経験の中で下手をすると「これはこの程度だろう」と見切ってしまう危うさを覚えます。
プロ棋士が軒並み「望みなし」と言っている以上そういう展開だったのでしょう。それでも何かあるのではと信じて考え続け、誰も見つけられなかった「何か」を示して見せたその姿に感銘を受けました。
経験ゆえに状況を見切って捨ててしまうのではなく、経験ゆえに望みを繋ぎつつ可能性を追求する姿勢。私もそのようでありたいと思います。

将棋は勝負事ですが、見る側の楽しみは勝ち負けだけではありません。
それこそ勝ち負けだけで言うならば、今や最強棋士は羽生さんでも天彦さんでも無くAI(人工知能)です。もう将棋におけるAIの人間に対する優位性ははっきりしました。だから最強のAIの将棋が面白いかと言えばそんなことは無いわけです。
努力・勉強し、失敗やミスを犯し、心が折れそうな時があり、それでも可能性を追求し続け、時に勝ち、時に敗れ、衰えた能力を別の場所でカバーし、経験を若さが打ち破り、若さを経験が打ち破り、そういう人間の営みが一つの事柄の中に現れるから魅力があるのです。

結果などの表面的な事柄しか評価できない価値観の中では、人の活動領域はどんどんAIに取って代わられていくでしょう。結局、表面的な価値観は人間自身の存在意義を失わせるものです。
「損か得か、勝つか負けるか、上か下か、早いか遅いか」、そういう表面的なものよりももっと奥行きがあり豊かな価値観・感性を身につけていきたいものです。

人が生きている、生かされていることの意味を人間自身が棄損するような時代の中で、人が人であることの失われ無い意味や価値を聖書は教えてくれています。
「私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」聖書


posted by pastoryama at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 番外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする