2015年05月06日

本当のシンデレラな生き方?!

今から20年前、私がまだ10代だった頃すでに父親の書棚に「シンデレラ・シンドローム」という名前の本があって手にとって読んだのを覚えています。カウンセリングの世界で昔流行した言葉です。
白馬の王子様が現れて自分の人生を劇的に変えてくれる、そんな願望にとりつかれた主には女性を言い当てる言葉だったと思います。
多分この言葉の影響だと思いますが、何か童話のシンデレラってあまり好きな話しではありませんでした。

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6月11日 三島キリスト教会https://sites.google.com/site/mishimachrist/のチャペルコンサートに出演します。お近くの方ぜひ足をお運びください!

娘たちと妻が実写版のシンデレラの映画を観に行こうというので、家族サービスのつもりで出かけたのですが思いがけず面白くて見入ってしまいました。
非常に良かったのは、シンデレラ・シンドロームのようにではなく...、シンデレラの辿った劇的なストーリが地道な生き方と対立的にではなく、延長線上に描かれていたことです。
「優しさと勇気」というキーワードの中で、義母や義姉たちに酷い扱いを受けても怒りや憎しみに心を奪われることなく、ひたむきに生きるシンデレラ。厳しい現実からの逃避ではなく、厳しい現実に向き合うことの中で開かれていく人生。
魔法使いが現れて...、という不思議な物語がリアルな人生として描かれていること(私の感想)の面白さを感じました。

シンデレラ・シンドロームのように、「誰かが私の人生を幸せにしてくれる」という依存的な発想の中でパートナーを見つけても、そこには大抵「共依存」の問題が生じ上手くいきません。
もちろん相手の問題もあるでしょうが、自分の人生を「誰か・何か」によって変えてもらいたいという発想を持っている自分自身がどこまでもついてくるので、常に「こんなはずではない」という現実への不満と、「今のようではない将来」への期待を捨てることが出来ないのです。

最近はそのようなシンデレラ・シンドロームを逆手に取るようにして、依存的に生きてきた過去・現在のその人の在り方を否定し、その人が依存対象としてきた相手を非難・否定することによって、巧妙に新たな依存対象として自分や組織を刷り込ませコントロールする、そのような手法がしばしば見受けられます。
依存的な人の問題に関わる援助者が、いつの間にか新たな依存対象にすり替わるということは、依存症治療の現場でもう何十年も昔から言われていることですが、やはり今もそのカラクリで巧妙に依存的な方を振り回す人がいます。

映画の話しに戻ります。正確に覚えていませんが、“家族から酷い扱いを受けているのになぜ家を飛び出さないのか”と尋ねられたシンデレラは“「優しさと勇気」を持って私はこの場所で生きる”と力強く応えます。
シンデレラ・シンドロームを抜け出していく秘訣は、「私はこの場所に生きる」という決断と意思・覚悟です。
変えるべきは生きる場所や共に歩くパートナーではありません。そのように勧める人は「本物の王子様は私だよ」とささやいているだけ。結局これまでと同じ生き方をあなたに強いるでしょう。
どこに行っても、誰と生きても、自分はどこまでもついてくる。このことを忘れないで下さい。

ですから今を否定するのではなく、今と向き合うこと。相手を変えることではなく、自分が変わること。自分を苦しめる犯人探しではなく、変えられる自分の問題を認めていくこと。
そうやって、今この場所に生きようとするあたなを応援してくれる人、支えてくれる人があなたの本当の援助者です。そして、そのような地に足のついた、地道な生き方があなた自身を輝かせていくのです。
シンデレラ・シンドロームに囚われないシンデレラを観ながら、そんな地道な人生の素晴らしさを改めて考えました。

川奈聖書教会は、今この場所で生きようとするあなたを応援しています!
http://www.geocities.jp/kawanachurch/

posted by pastoryama at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月01日

みんな絶対輝ける!

私の友人、税理士の原眞人さんが超多忙の中、松川の水上舞台が印象的な「伊東祐親まつり」の企画委員として活躍しておられます。
特にも伊東市内の小学5〜6年生を対象に「伊東をこんな町にしたい!」をテーマにした作文を募集して、優秀な作文を書いたお子さんに「初代すけちかくん」の称号を授与するという、素晴らしいアイディアを早速に実行され伊豆新聞でも大きく取り上げられていました。
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教会の子どもたちも作文コンクール挑戦してくれました!自分たちの住む町の将来について考える非常に良い機会になりました(^^♪

伊東の方以外は聞いたこと無いでしょうが、平安時代に伊東を治めた武将伊東祐親の名を冠した“祐親まつり”、もう40年の歴史があるそうです。ただ、、、伊東祐親のイメージってとにかく暗い。
もっとも知られるエピソードは源頼朝が平治の乱で流罪になり伊東に流され、そこで祐親の娘八重姫と頼朝の間に子(千鶴丸)をもうけ、それに怒った祐親は孫である千鶴丸を殺害するという悲惨なお話し...。「伊東祐親」と聞いて明るい・前向きなイメージないのです。
けれども原さんは今回、作文コンクールで「初代すけちかくん」を選ぶというびっくりなアイディアをお出しになられました。史実の暗いイメージとは全く違う、「伊東の町の開祖 祐親」という前向きな設定。そして開祖祐親にちなんで、子どもたちに伊東の町の将来を考えてもらうという、これまた実に明るく前向きな企画。祐親まつりの印象が大きく変わる、素晴らしいアイディア。さすが原さんです!

このように一人の人を異なる視点・方向性から見つめ直し捉えなおすということは、人を援助・サポートする上で、また子育てにおいても非常に大切な発想になります。
しばしば親は画一的な視点で子どもを見つめ、親の願う子ども像・親の持つ価値観に適う子どもであることを押し付けてしまいます。じっとしていることが苦手なお子さんに細かな神経を必要とする習い事を押し付けたり、創造的な才能のあるお子さんに機械的な作業を強いたり...。
そうすると当然、その価値観の中では「ダメな子、劣等生、落ちこぼれ」となってしまうでしょう。しかし一つの視点の中で否定されても、別の視点の中では大いに生かされる方が沢山います。
ですから本物の教育者は、育たないことを生徒の資質のせいにはしません。才能がある人しか伸ばせない、一種類の才能しか伸ばせない、そういう指導者であってはいけないのです。

全ての人に神様は賜物を与えて下さいました。それは「誰かのようになれる才能」ではなくて、“その人にしか出来ない何か”の賜物です。ですから本物の教育者・指導者は、沢山の引出しからそれぞれが持っている才能・賜物をもっとも生かし輝かすことができる方向性を見出し、自らの可能性を自覚させていく援助が出来なければいけません。
「これこれの資質・才能が無ければダメ。あなたはこれが出来ないからダメ」、そういう前提のある教育では無くて、全ての人が輝く可能性を持った教育でなければいけないと私は思うのです。

イスにどうしても座っていられないお子さんがいます。では45分間座っていられなければ、もうそのお子さんには望みが無いのでしょうか。そうではありません。座っていられないお子さん、じっとしていられないお子さんが、しかし体を動かすことの中で素晴らしいことが出来るのです。
神様が一人一人を掛け替えのない存在として創って下さったのであれば、一人一人の生かし方、生かされた方というのもまたそれぞれにあるのではないでしょうか。
画一的な価値観で「家の子は」と嘆くのではなく、お子さんを生かす柔軟な視点が求められているのかもしれません。

ぜひ教会に子どもさんをお送り下さい。お子さまに与えられている素晴らしい賜物を発見し生かすお手伝いをさせて頂きます。http://www.geocities.jp/kawanachurch/
子ども礼拝 毎週日曜 9時15分〜10時半

posted by pastoryama at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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