2014年10月28日

Gen・hatさんの個展にお邪魔して

日本シリーズ真っ最中ですが実は私ライオンズファンです。
生まれも育ちも相模原の私がなぜライオンズファンなのか、、、と言いますと答えは簡単。小学校低学年の頃、父親がライオンズの野球帽を買ってくれたからです。なぜライオンズだったかは覚えてませんが、やがてこの帽子が「ライオンズ」という野球チームの帽子であることが分かって以来、野球というと私はライオンズを応援しています。
当時西武ライオンズは黄金時代。石毛、秋山、デストラーデ、清原、辻、伊東、東尾、工藤、渡辺、郭、潮崎と、鬼のようなスターが揃いに揃ってムチャクチャ強かったしカッコ良かったです。
何度か西武球場に応援に行きました。5年生の時に友達と二人で片道2時間くらいかけて電車で応援に行ったのは物凄く楽しい思い出です。そこでお小遣いで「郭泰源」の下敷き買ったのも忘れられません。。。

10626631_920928714602776_888964404885654474_n.jpg

なぜそんな話しかと言いますと先日Gen・hatさんの帽子の個展を拝見してきたからです。帽子の個展って生まれて初めて拝見した訳ですが、一つ一つ個性的でぬくもりのある帽子を拝見しながら、帽子について考えていて思い浮かんだのが上記のエピソード。
「帽子と言えば西武ライオンズだよなぁ〜」と。毎日ライオンズの帽子被ってたんですよね。。。
色々な帽子拝見しながら「洗う時はどうするのかな」と思ったりして、そう言えば私の野球帽お母さん洗ってたのかなぁ。見たこと無いよな。大丈夫か...」とか、どうでも良いこと考えてました^^;
ライオンズの帽子のこと思い出したのはホント久しぶりのことでした。ただの帽子繋がり...、ではないと思うんです。

大学生の時に現在の奥さんにプレゼントしてもらった腕時計があります。10数年前にそれをうっかり洋服のポケットに入れたまま洗濯に出してしまい壊してしまいました。
当時、神学生で食うに困っていましたからとても時計の修理など出来なかったのですが、伊東に来て何とかご飯は食べれるようになったので修理してもらおうと時計屋さんに持って行ったら「これ直すのは止めときなさい。新しく買った方が安いよ」と言われてとても悲しい思いをしました。
物の価値は値段だけでは無いはずです。もちろん親切のつもりで言ってくれたのでしょうが、時計屋さんであるならばこの時計がどういう時計なのか、その人にとってどういう価値があるのか、一言話しを聞くべきだったと私は思っています。

私はファッションにまったく無頓着な人間で全然分からないのですが、Gen・hatさんの帽子を拝見しながら自分の大切な感情が不思議とよみがえって来たのは、きっとGen・hatさんの帽子に心があるからなのだろうと思います。
人は人格的な存在です。ロボットとは違います。心はお金では説明できないし計れないものです。
そこが分からなければ、人は豊かに生きていけないし、人を豊かにする物も生み出せないと思います。

「どうやってこういう帽子の形をお作りになるのですか?」と伺ってみました。フェルトに針を刺していくことで変化をつけていく、というようなお答えだったと思います(違ってたらごめんなさい(-.-))。
お話しを伺いながら、一針一針心を込めて刺しながら帽子に命を吹き込んでいかれる帽子作家さんの姿を想像しました。そういう心の宿った物が、人の心を動かすのではないでしょうか。私の心の中にある大切な記憶が、心の宿った帽子に触れることで動き出しよみがえって来たように思います。
家族との関わり、子育て、仕事、音楽、友人関係、色々な時々の中で、心を見逃さない生き方をしたいなと、そんな気付きを頂くひと時でした。

posted by pastoryama at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 番外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月18日

友達ってなんだろう?

もう秋も更けてきた頃に夏の話しで恐縮ですが、今年の夏は色々な方との出会い・再会の機会があって、とっても嬉しかったです。
FBで知り合ったおじさま方とのリアルでは初めての出会い。バーチャルな世界での付き合いをリアルに繋げるおじさま方の姿勢に感激しました。潮田さん、清水さん、ありがとうございました!
父親が牧師をしている教会の教会学校に来ていた女の子が立派な看護師さんになって10年ぶりくらいで訪ねてきてくれたり。
そしてそして、何といっても神学校で一緒に学び、一緒に遊んだ大切な韓国の友人ファミリーがわざわざ伊東まで会いに来てくれて、この再会は泣けました...。
9月に大和郡山に出かけた時にも、忙しい中関西にいる神学校のクラスメートファミリーたちが会いに来てくれて、とても嬉しかったです。
写真 2014-08-25 23 23 25 25.jpg


私はどちらかと言うと友達付合いが悪い人間と見なされるタイプでして...。友達を誰よりも大切に思っている“つもり”なのですが、そう受けとめられないことも割と多かったかもしれません。
原因ははっきりしていて、ベタベタするのが嫌いなのです。
仲間内でチョコチョコ集まるとか、常に一緒に行動するとか、そういうのが嫌いでむしろ自分と違う人や、自分が足場を置く場所とはちょっと違う所に入っていくとか、そういうことを好む妙な性格をしているようです。

この夏、韓国の友人と神学校卒業以来12年ぶりに再会し、他のクラスメートとも数年ぶり〜10年ぶりくらいの再会だったのですが、その再会の時間を通して彼らが私にとって掛け替えの無い友人たちであることを改めて思い感謝しました。
彼らの中に10年経っても全然変わらない場所がちゃんとあって、でもその場所を軸にしながら着実に成長していて、当然それには沢山の苦労があっただろうことが想像できて...、そういう友が居てくれることが私にはホントにありがたいことですし、彼らに限らず素晴らしい友人たちに支えられている自分であることを実感しました。

神様は一人一人に異なった使命を与え、生きる場所を与え、向き合うべき課題を与えて下さいます。人生はそういう面で非常に孤独なものだと思います。
それゆえともすると、私たちは自分が向き合うべき孤独を一緒に受けとめてくれる、一緒に手を繋いで生きてくれる存在を求めてしまい、それを受け入れてくれる人を「友達」と誤解してしまうのではないでしょうか。
けれども本当の友達とは、それぞれが向き合うべき課題に、向き合うべき場所で苦闘しながら、その使命に生きている人。お互いにそのことを信じ合える関係性なのではないかと思うのです。

人間はみんな弱いです。一緒に居てもらうことが必要な時、話しを聴いてもらい、慰めてもらい、励ましてもらうことが必要な時が誰にでもあります。もちろん私もそうです。
でもそれは、自分が神様から与えられている場所にまた出ていくために与えられる一時の休息です。
その慰めの場所にずっと留まっていたい、いつまでも一緒にいたい、一人は嫌だ、そういう関係性は本当の意味での友情ではありません。

あなたの経験している困難は大きいものだと思います。あなたにしか分からない辛さや苦しさ、恐れ寂しさがあるでしょう。でもそこにこそ、あなたが生かされている特別な意味があるのです。
大きい小さいなどありません。その場所で懸命に生きているあなたの人生は掛け替えの無い、尊い意味を持った人生です。
そして、同じように他の誰にも分からない困難を背負いながら生きている人があなたの周りにいるはずです。そのことをお互いに信じ合える関係性は、私たちが自分の人生を生きる上で大きな力になるのです。

一生懸命生きているあなたを応援しています。そして私も、自分の生きるべき場所で神様から頂いている使命にこれからも全力で生きていこうと思います。
一生懸命なあなたを、私は大切な友だちだと思っています!


posted by pastoryama at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 人間関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月04日

退屈な人生の原因は?

伊東大田楽を観賞してきました。
今回は一般参加のお子さんたちも居たのでとっても賑やかでした。何の分野でも子どもたちが一生懸命取り組んでいる姿は良いものだなと改めて思いました。
ぜいさん夫妻のお嬢さんがいつも熱心に練習しておられて、最近良く大田楽のステージを見させて頂くのですが、あの単純なメロディとリズムの繰り返しの中に生まれてくる深遠な世界は癖になります。今や大田楽ファンです!

写真 2014-10-04 16 00 25.jpg

クラシック音楽は基本的に同じことの繰り返しをしません。同じフレーズであっても二度目であることの必然的な変化というのを必ず表現するのです。
繰り返しといえばラベルのボレロが有名ですが、同じフレーズの中にこそ壮大な変化が表現されていきます。
https://www.youtube.com/watch?v=3KgpEru9lhw(←関係ないですがこのボレロは面白い)
一方大田楽のような音楽は、むしろまったく同じように繰り返される音とリズムの中にこそ美を見るのでしょう。延々と続く同じことの繰り返しの中に不思議と馴染んでいき深まっていくリズム・メロディが実に心地よく退屈しません。
それは恐らく、変わらない音楽の中でその音楽を受けとめている私自身が変化していくからです。同じことを経験している中で、自分自身が変化し、同じ音楽が受けとめる私の変化の中で新しい意味をもつようになる。
西洋音楽と東洋音楽のアプローチの違いのようなことを考えていました。

私たちの人生も同じではないでしょうか。
ともすると「単純な毎日の繰り返し...」と日々の生活をつまらないものと文句を言ってしまうことがあります。
毎日同じ時間にご飯を作って、洗濯機を回して、掃除機をかけて...。毎日同じ時間に起きて、ご飯を食べ、満員電車に揺られ、会社に着き...。
そうやって同じことの繰り返しに満足できなくなった時に、詰まらぬ変化に心を奪われ自分を支えてくれている変わらない大切なものを粗末にして、人生を傷つけてしまいます。

人生を退屈してしまう原因は変わり映えしない日々の生活や周囲の人々にあるのではありません。変わることができない、成長出来ない自分が居て、同じ事柄の中に新しさを見出すことが出来ていないのです。
同じことの繰り返しの中でも自分自身が成長していけば、そこにはいつも新しさがあるはずです。
楽器でもスポーツでも、何をするにも反復練習は大切です。例えば、フルート初心者の家の長女が取り組んでいると同じ基礎練習曲をフルーティストの義妹は今もこなしているそうです。
同じ練習であっても、演奏する本人が成長することでその練習が益々深い意味を持つということでしょう。

今日が、明日が、退屈な変わり映えしない一日であるか、はたまたワクワクするような新しい一日であるか、そこに生きる私たち自身が問われていることを受けとめることができたら、それだけで私たちの人生は前に進み始めるものです。
たった一度の掛け替えの無いあなたの人生が素晴らしいものとなるように、川奈聖書教会はあなたを応援しています!
牧師とお話ししたい方はE-mail kawanachurch@ybb.ne.jp 44-1728 気軽に連絡下さい!

posted by pastoryama at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。